8月は盆踊り+ビール

◇◇ビアパーティのお知らせ◇◇
日時 平成25年8月3日(土) 19:00~ 
場所 札幌かに本家 栄中央店 B1 洞窟ビアホール 
   TEL 052-263-1161
会費  ビジター 4,000円
栄ミナミ盆踊り大会 とともに!
http://www.sakaeminami.com/ongakusai/bonodori/

201306

6月例会 講演レポート 
   テーマ「國酒プロジェクト
       ~東海『4』県とフランスが育てた
        経済政策決定プロセスの新潮流~」
   講師 名古屋大学教授 佐藤 宣之 氏
      前・内閣官房国家戦略室参事官
 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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          開催日 平成25年6月5日(水)   
          会場  札幌かに本家・栄中央店   
■私が名古屋にいる理由
私は「本物」の教授ではありません。
昨年8月、財務省から2年間の任期付きで
名古屋大学に出向することとなりました。
名古屋に住むのは初めて。
あえて名古屋との縁を探すと、
大学同級生には、その後職場の同期にもなった
古川元久代議士(旭丘高校出身)、
また「いつやるか、今でしょ!」でブレーク中の
林修先生(東海高校出身)がいます。
その古川代議士とはその後、
本日のテーマである「國酒プロジェクト」で
共に働くこととなりました。
元々国家公務員になる気が無かった私に
国家公務員試験受験を推奨(というよりは強要)したのも、
旭丘高校出身者でした。
こうやって振り返ると、
名古屋人は私の人生に実は大きな影響を
与えていたことになります。
■財務省というところ
中の人間が言うのも妙ですが、
財務省というとお堅いイメージが強いと思います。
確かに予算、税制等々財布を守るのが主な仕事なので、
仕事が堅いのは間違いありません。
でも職員一人一人には自由がある、
というか自由な発想、思考を常に求められます。
内外の情勢が激しく変化する中で、
先例踏襲の仕事で済むはずもなく、
どのような役職にあっても日々新たな課題を突き付けられ、
解決策を考えることが求められてきました。
大蔵省の人事担当者が内定学生24人を前に、
「大蔵省には多様な人材が求められる、
例えば頭が切れる者もぼんやりしている者も。」と
話していたのが思い出されます
(「ぼんやり・・」の下りの際に私を見ていた
 気がしてなりません)。
■平成の夏目漱石
入省3年目で国内研修、海外研修の
分かれ道に差し掛かりましたが、
幸運にも後者となり、イギリスに2年間留学しました。
実は生まれて初めての海外。
ヒースロー空港が見えた際、
「これが夏目漱石先生も見た光景か。」と
胸がワクワクしました。
授業は高度かつ勿論英語なので大変に辛かったのですが、
夏休み、冬休み、春休みは欧州を大周遊。
特に衝撃だったのは、
ドーバー海峡一つ隔てただけのフランスの
食事の美味しさでした。
ジャガイモにフォークを刺しただけで
「食べなくても美味しさが判る!」あの感動。
パリへの愛が芽生えるきっかけとなりました。
■29歳の税務署長
入省7年目、他の同期と共に全国の税務署長に転出。
私は静岡県の磐田税務署長となりました。
税務署長は様々な会合で
多くの方と会う機会が多いのですが、
私は知らない土地なので誰も知らず、
他方相手は若い税務署長の私のことを知っている
非対称性。
若さゆえの記憶力でカバーしようと思い、
山盛りの名刺を神経衰弱のように並べて
ひたすら頭に叩き込んだところ、
半年弱で署内で管内情勢に一番詳しくなった
ような気がします。
税務署の仕事の一つである酒類行政を通じて、
日本酒の魅力にも初めて触れ、地酒振興にも努力しました。
若い税務署長はその後世間の批判に晒され、
現在は一律の税務署長転出はなくなりましたが、
東京の住宅地育ちの私個人に関する限り、
この経験無くして今の自分もないし、
「國酒プロジェクト」も作り得なかったと確信しています。
■シンガポール
磐田税務署長からそのままシンガポール大使館へ出向。
シンガポールでは官民問わず意思決定が早く、
且つ建前よりも実利志向で、
私のメール即レス体質の礎となりました。
大使館員は公私含め会食の機会が多く、
”Camels can work without drinking three weeks,
while diplomats can drink without working three weeks”
とのジョークも存在するほど。
限られた財布で客人に楽しんでもらおうと
お店の人とやり取りをするうちに、
メニューに出ておらず、でもおいしくて安いものが
多数存在することが判ってきました。
3年間の勤務のうち、最後の1年は
アジア通貨危機と重なり多忙となりましたが、
要人面談に際しては、まず面談自体をセット、
落ち着いたところで夕食のメニュー「作成」に没頭。
「大変な会議の後に美味しい料理が食べられるので
頑張れる。」と政府高官から言われたのは嬉しかったです。
■念願のパリへ
本当にパリに転勤。
フランス料理を堪能するうちに、
単に味自体が優れているだけでなく、
ブランド力が高いことを実感しました。
国内で低迷する日本酒、焼酎にとっても
学ぶべき点が多いのではないか、
日本酒、焼酎を
市場の大きいアメリカや中国に輸出するだけでなく、
パリで日本酒、焼酎にブランド力を付加する努力が
長期的に重要ではないか、等々真剣に思うに至ります。
自分の本業でもないし、
且つ誰にも頼まれていないのに、
気がつけば、洋食器メーカー・ベルナルドの
パリ中心部のショールームで
日本酒、焼酎と洋食器のマリアージュイベントを
プロデュースしていました。
ほぼ同時期、偶然にも私と同じ思想で
パリでの展開に注力されていたのが、
あの獺祭(だっさい)の櫻井博志社長。
でも少なくとも当時、
櫻井社長や私のように考える人は
日本では圧倒的少数派でした・・・・
■國酒プロジェクト
サラリーマンの宿命、楽しかったパリから強制送還。
気がつけば日本酒がライフワークのような感じで、
モナコの王室やインドでの
日本酒プロモーションのお手伝いをしていました。
インドの件は日本で少し報道され、
「これは誰のアイデアか?」と側近にご下問したのが
古川国家戦略担当大臣。
すぐさま古川大臣本人から私宛てに電話があり
「自分は酒は弱いが、実は前から日本酒を以て
海外に売り込む戦略を作りたいと思っていた。
佐藤、頼む。」と。
私からは「焼酎を含めた國酒でやりましょう。」と提言、
かくして「國酒プロジェクト」の幕を切ったのです。
金融庁での仕事はそのままなので、多忙を極めましたが、
仕事はスピードが命、
電話からちょうど一カ月後に
古川大臣から「國酒プロジェクト」立ち上げを公表。
公表文書の中で日本酒、焼酎を
「地域発・日本再生の救世主」、
「21 世紀の異文化との架け橋」
と自信をもって位置付けたのは、
磐田税務署長、シンガポール、パリの経験無くしては
あり得ません。
■名古屋での今後
またまたサラリーマンの宿命で、
「國酒プロジェクト」開始から3カ月半で
名古屋大学に転勤することとなりました。
研究テーマは何でもいいですと言われてビックリ。
取りあえず東海エリアの人も酒も知らないので
時間の許す限りあちこち訪問していたところ、
國酒を切り口に新種の産学官連携モデルを
打ちたててもいいかなと着想。
これが本人の予想を超えて反響があったので、
名城大学等の先生と組んで
「東海4県21世紀國酒研究会」を立ち上げて
しまいました。
早いもので名古屋大学での残りの任期も1年と少し。
今後も発想を限りなく柔軟に行い、
自分らしい活動にまい進したいと思っています。

201305

5月例会 講演レポート 
   テーマ「オグリズム 今日から人生が変わる黄金ルール」
   講師 ネッツトヨタ名古屋株式会社
      代表取締役社長 小栗成男氏
 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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          開催日 平成25年5月9日(木)   
          会場  ローズコートホテル   
■比叡山の荒行で学んだこと
私は学生時代、またアメリカ研修での経験から
いろんなことを学びました。
その一部と、トヨタ自動車と全国のトヨタ販売店向けに
研修教材として共同開発した「店頭即決術」の一部を
本にまとめたのが
「オグリズム-今日から人生が変わる黄金ルール」です。
私は、大学2年に上がるときに
体育会自動車部からゴルフ部へ転部しました。
そのゴルフ部を通じて、
出逢った大津新一さんにとても気に入っていただきました。
「お前をゴルフで日本一のプレーヤーにして、やるから」
といっていただいたのです。
その言葉をいただいてから1年。
俺はこのままでは日本一になれないな。
どうしたらいいだろう?と思い、友だちに相談したのです。
そこで、比叡山の「千日回峰行」という
荒行の話を聞きました。
よし、それだと思い、一人で比叡山に向かったのです。
天台宗の僧侶、内海阿闍梨という方に会いに行きました。
11月でしたが、
初雪が降った比叡山はとても寒かったのを覚えています。
「ゴルフで日本一になりたい。精神修行をさせてください」
という私の話に、「お前、覚悟はいいか?」と聞かれ、
「はい」「じゃ、来週から来い」というわけで、
修行が始まったわけです。
夜中の3時から、修行は始まります。
一人の修行僧の後について、
一晩中、比叡山の中を歩き続けるのです。
初日は何とか終わりました。
ところが何日か経過した時に、その修行僧が
「私の後ろからついてくるのでは、修行にならないから、
今日から10メートル離れて歩け」というのです。
山中ですから真っ暗で、前が見えない。
事件が起きたのがその翌日でした。
夜中の2時頃に、
落ち武者達が怒号とともに目の前に現れたのです。
もちろん妄想なのですが、
本当にドラマで見るような血を流し、
髷が垂れ落ちた落ち武者が何百人と迫って来たのです。
その後も、朝まで歩き続けたのですが、
あまりの恐怖で、もう俺は限界だと。
このままいったら恐怖で気がふれるという
心理状態になりました。
しばらくして内海阿闍梨さんに泣きながら、
「もう、帰してください」と訴えたのです。
そこで私は
「貴様っ!、男が一旦言ったことを、何ごとだっ!」と
ド叱られました。
ただ、私としては、
恐くて、それどころじゃなかったのです。
そのあと、
阿闍梨さんのところに、挨拶に行き、許していただのです。
ただ、修行を予定期間より短縮したこと、
そのときに「決めたことは必ずやり遂げろ!」と言われたことが、
今でも私の中にずっと鮮明に残っています。
そのことが
「自分がやると決めたことは絶対にやり抜く」という
教訓になりました。
■地上最強の商人、ビジャンとの出会い
私がこの世で最大限、感動した話をしたいと思います。
映画プリティ・ウーマンで有名になった
ハリウッドのロデオドライブにビジャンという
ブランドの店があります。
ビジャンは、世界で一番高級なブティックの
オーナーです(故人)。
私の宝物であり、オグリズムの原点になった本があります。
オグ・マンディーノが書いた「地上最強の商人」
という本です。
ビジャンは、私の心の中の「地上最強の商人」といえます。
なぜ地上最強の商人かと申し上げますと、
ビジャンとの出会いが私の人生を大きく変えたからです。
私は2000年にアメリカでのプログラムを終え、
日本に帰国した翌年、研修でアメリカに行きました。  
 
そこで高級ブランドが並ぶロデオドライブで
ビジャンの店を見つけたのです。
ちょっと入ってやれという感じでドアを開けました。
そこには180センチくらい身長がある
ブロンドの綺麗な女性が2人座っていました。
私を頭の先からつま先まで「じろっ~」と見下すのです。
小さなキーホルダーが20万もするお店です。
しばらくして、
マネージアという品の良い女性が出てこられました。
何かお探しのものがあればご案内しますが、
いかがでしょうか?といわれて、
高いなと思いながらも、
あとには引けないものですから階段を上がって行ったのです。
そこには、
クリントンやヒラリー、著名人の写真がたくさん並んでいる。
ところが、2階に上がったら商品がないのです。
商品の棚を開けると値段もついていない、
いかにも高そうな商品が並んでいました。
でも、そこまでしていただいたら、
何か買わないといけないなと。
そのときは、ネクタイくらいだったらと思い、
1本購入したわけです。
これが最初の出会いだったわけですが、
そのときビジャンはいませんでした。
その後、アメリカに行き、
店を訪れたときに、ビジャン本人がいたのです。
びっくりすることに、
あの世界一のビジャンですら物腰が柔らかい。
このことが、勉強になりました。
いずれ金を稼いで、
こんなすごい店でお金のことを気にせずに買い物をしたい
という夢を描きました。
そのとき私はビジャンに質問をしたのです。
「なぜ、そんなに成功したのか?」
彼はこう言いました。
私は、一気に成功したわけじゃない。
私はイスラエル人で、正直言って、
最初は英語も話をすることができなかった。
そこからのスタートだったが、
自分でポリシー持っていたことは、
自分の目の前に会った人には、絶対に全精力で接していた。
その結果に過ぎない。
私は、すごいなと思いました。
私が4回目くらいに行った時、
シャツを欲しいなと思っていたのです。
ところがシャツに体を合わせると、袖が長い。
どれくらいの時間で袖を直せるのかと
ビジャンに聞いたら1時間くらいかかると。
1時間して戻ってきたら、
申し訳ないけれど、まだできていないというわけです。
すぐ日本に帰らないといけないので時間がないというと、
じゃあ、あと10分だけ時間をくれというわけです。
ところが10分して、店に戻ったら、まだできていなかった。
今、ラッピングしているという。
また、いい加減なことをいっていると思ったので、
「もう待てない、もういい、帰るっ!」といって
帰ろうとしたのです。
すると、彼は
必死に私の手をつかんで、
2分くらい歩いたところに連れて行かれました。
そこは5、6人の白髪の紳士な人たちが
裁縫をやっている部屋でした。
そうしたら、
本当に今ラッピングをやっているところだったのです。
正直言って、彼にとって、
シャツ1枚なんて、大したことはない。
日本から来て、
それほど高い買い物をするわけでもないような人間に
差別なく接する彼の姿勢に感動しました。
もうひとつだけ感動したことがあります。
あるとき、店にいったとき
クロコダイルのジャンパーがあったのです。
高そうだし、買う気はなかった。
すると、ぱっと私の横に来て、
「気に入った?」と彼が聞くのです。
「気に入ったのなら、今日、持って帰ってくれ。
お金はいつでもいい」というわけです。
車を売っていて、こんなこと、私は言えません。
すごいことです。
これが、彼が苦労しながら成功してきた商売の極意
なのかなと思いました。
今までの経験から学んだことを活かして
これからも、一所懸命、ビジネスを頑張って行きたいと
思っています。

◇◇これからの例会のお知らせ◇◇

■平成25年7月例会
日時  平成25年7月11日(木) 講演 18:30
講師  フリーアナウンサー/パーソナルプロデューサー
    生田(いくた)サリー氏
    http://www.saliikuta.com/
テーマ 「初対面の相手の心を一瞬で開く方法」
会場  料亭 蔦茂 (講演会、親睦会)
    名古屋市中区栄3-9-27  TEL 052-241-3666
    http://www.tsutamo.com/
■平成25年9月例会
日時  平成25年9月6日(金) 講演 18:30
講師  歌舞伎ソムリエ おくだ健太郎氏
    http://ameblo.jp/okken/
テーマ ビジネス・スキルをあげるために、
    「オン」の時間にこそ歌舞伎を見よう!
会場  ローズコートホテル
    名古屋市中区大須4-9-30 TEL 052-269-1811
■平成25年10月例会
日時  平成25年10月4日(金) 講演 18:30
講師  元毎日新聞社 常務  
    慶應大学マスメディア・コミュニケーション研究所講師
    河内 孝氏
テーマ 「安倍政権の運命」(仮題)
会場  料亭 蔦茂 (講演会、親睦会)
    名古屋市中区栄3-9-27  TEL 052-241-3666 
    http://www.tsutamo.com/
■平成25年11月例会
日時  平成25年11月7日(木) 講演 18:30
講師  (株)サガミチェーン 代表取締役 鎌田敏行氏
テーマ 「イスラエル、遠くて遠い国を遠くて近い国に」(仮題)
会場  札幌かに本家・栄中央店 TEL 052-263-1161
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◇◇ビアパーティのお知らせ◇◇
日時 平成25年8月3日(土) 19:00~ 
場所 札幌かに本家 栄中央店 B1 洞窟ビアホール 
   TEL 052-263-1161
会費 ビジター 4,000円
栄ミナミ盆踊り大会 とともに!
http://www.sakaeminami.com/ongakusai/bonodori/
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◇◇毎年恒例 蔦茂での忘年会のお知らせ◇◇
日時 平成25年12月27日(金)  宴会開始 18:00
余興 ひまわりライブ演奏 早瀬孝文&利川盛治
会費    ビジター   15000円
会場 料亭 蔦茂(つたも)  
   名古屋市中区栄3-9-27 TEL 052-241-3666 
   http://www.tsutamo.com/   
       
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■編集・発行 名古屋経営研究会事務局

6月例会

6月例会
●テーマ 「國酒プロジェクト
     ~東海『4』県とフランスが育てた経済政策決定プロセスの新潮流~」
●講 師  名古屋大学教授 佐藤 宣之氏
     前・内閣官房国家戦略室参事官
     http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/npu/policy04/archive12.html       
              
●プロフィール
1965年に東京都杉並区にて出生。
1988年に東京大学法学部第一類(私法コース)卒業し
同年に大蔵省(現・財務省)入省。
人事院行政官長期在外研究員として
英国ケンブリッジ大学留学(経済学修士)、
名屋国税局磐田税務署長、
在シンガポール日本国大使館二等書記官・一等書記官、
東国税局総務部総務課長、OECD金融企業局(パリ)、
財務省財務総合政策研究所国際流室長、
内閣官房国家戦略室参事官等を経て
2012年より2年間の予定で
名古屋大学学院経済学研究科教授として出向。
●日時 平成25年6月5日(水)   
    
    18:00 受付
    18:30 講演会
    20:00 懇親会
     ※くれぐれも時間厳守でお願い致します
●会場 札幌かに本家・栄中央店 
    TEL 052-263-1161 
●会費 ビジター 8,000円

2013年5月例会

5月例会
●テーマ 「オグリズム 今日から人生が変わる黄金ルール」
●講 師  ネッツトヨタ名古屋株式会社
     代表取締役社長 小栗成男氏      
              
●プロフィール
1963年名古屋市生まれ
1987年同志社大学卒業
その後、自動車販売会社に入社し、営業を担当
1990年・1991年トヨタ自動車年間優秀スタッフ表彰受賞
1999年から約2年米国トヨタにて研修
2000年NADA(全米自動車販売協会)のアカデミーを卒業
2002年名古屋トヨペット(株)取締役就任
人間力向上セミナーを自らが講師となり2010年より開催
2011年ネッツトヨタ名古屋(株)代表取締役に就任
著書に「オグリズム-今日から人生が変わる黄金ルール」
がある
http://www.netznagoya.co.jp/
●日時 平成25年5月9日(木)   
    
    18:00 受付
    18:30 講演会
    20:00 懇親会
     ※くれぐれも時間厳守でお願い致します
●会場 ローズコートホテル  
    名古屋市中区大須4-9-30 
    TEL 052-269-1811 

2013年4月例会

4月例会
●テーマ  「OSUと若宮八幡社・花見の集い」
大須・超絶元気発信アイドルOSU &
長者町発・桜Jewelry と共に!
尾張総鎮守若宮八幡社で夜の観桜会、
1300年の歴史と若いエネルギーを
お楽しみいただきます
・OSU:大須・超絶元気発信アイドル 
 http://osu-idol.com/
・桜Jewelry
 http://ameblo.jp/model-campbell/entry-11327676253.html
お料理は料亭蔦茂から花見会席ご膳をお届けします
共催 栄ミナミ地域活性化協議会
名古屋の旧町名を復活させる有志の会
●日時 平成25年4月2日(火)
 
18:30
卓話 若宮八幡社・宮司 副野 均氏  
テーマ「サカエと酒」
19:00-20:30 
懇親会 OSU & 桜Jewelryパーフォーマンス
●会場 若宮八幡社会館 2階・宴会場
名古屋市中区栄3-35-30 
TEL 052-241-0810  
http://www.wakamiya-bridal.com/

201302

2月例会 講演レポート 
   テーマ 「名古屋伝統芸能の歴史と旧町名を語る」
   講師 南山大学 人文学部 
      教授 安田 文吉氏 
 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
          開催日 平成25年2月21日(木)  
          会場  札幌かに本家・栄中央店   
■家康の政策、政経分離 ~経済活動の拠点、名古屋
森零さん監督の名古屋城物語という映画があります。
その中で、なぜ徳川家康が名古屋市を作ったか
という話を私がしています。
家康は政経分離を考えたからです。
室町幕府の失敗は
都の中に、もう一つ政治政府を作ったことにあります。
二重支配になってしまう。
家康は、政治経済を分離し、
政治は江戸、経済は名古屋とした。
名古屋は日本の真ん中にある。
そうすると
経済活動をするには、もってこいだったわけです。
経済活動の拠点として、
三男の徳川秀忠は、二代将軍で江戸へ。
四男の松平忠吉を初代の尾張藩主にします。
その後、忠吉が亡くなると、
九男の徳川義直が継いだわけです。
名古屋が経済活動の拠点であるということを、
知らしめるためには、何かシンボルがいる。
そのシンボルが金の鯱です。
徳川幕府は、こんなに経済力があるぞ
ということを見せようとしたわけです。
徳川家康は戦う前から、
戦いの後のことを考えて、町づくりも考えました。
私が代表を務めている
「NPO法人 清須越400年事業ネットワーク」が作った
名古屋の地図があります。
これは、
名古屋城ができる前の名古屋を推定して作ったものです。
清洲越し、直前、慶長12年頃の町の地図、
清洲城下の推定図などを見てもらうと、
開けている名古屋の様子がわかります。
地図を見ると、
熱田から金山のあたりまで海だったことがわかります。
熱田台地、あるいは名古屋台地といわれる場所がありますが、
その一番高いところに名古屋城があります。
その後ろ側は湿地帯。
清須の向こうは海だったわけです。
近くには新川があって、非常に水没しやすいところ
だったのです。
人が住むとなると、石垣を組んで、地面を高くして
住まないといけない。
そういうこともあって家康は清洲越しをしたわけです。
経済活動に、どういう町がいいかと考えると、
江戸は江戸城を中心に、同心円状の町が発展しています。
名古屋は碁盤割。
碁盤割の町に商人とか職人を住まわせました。
その南側と東側に下級武士が住む。
何かあったときは、
碁盤割の町を、まずは下級武士で守ろう
ということだったわけです。
その外側にはお寺を造りました。
なぜ寺を造ったのか?
お寺には霊がいるから、人は、たたりを恐れる。
信仰心も強い。
だから、
家康はお寺を碁盤割の外側に造って敵の侵入を防ごう
と考えたわけです。
■家康の政策を受け継いだ尾張藩第7代藩主 徳川宗春
家康は慶長5年2月、
「貞観政要(じょうがんせいよう)」を印刷し、配り、
こうやって政治をやるんだということを考えていました。
家康の考えを一番きちんと受け継いでやったのが
尾張藩第7代藩主 徳川宗春です。
宗春は、自分の政策を
「温知政要(おんちせいよう)」という本にしました。
経済政策に関し、
享保の改革を行った徳川吉宗の質素倹約策に対して、
宗春は反対の政策。
皆が元気になることが大事だということで、
名古屋での芝居を認めました。
歌舞伎というのは江戸時代では一番人気の高い娯楽でした。
年間で130以上の公演という記録が残っています。
遊郭は富士見原、西小路、葛町に3つ作りました。
芝居小屋や遊郭を造るには、腕の良い職人がいる。
そこで、いろんなモノ作りの人が集まってきました。
商人や職人の懐具合がとても良くなってきた
ということがいえます。
ただ、農民は懐具合が豊かになっていない。
そこで宗春は、
地場産業の保護育成と、販路の拡大をしたわけです。
それによって農民も豊かになりました。
しかも、税金を増やさなかった。
皆が豊かになると、良いものを買うようになる。
そうすると職人が腕を磨いて良いものを作るようになる。
これが名古屋のモノ作りの原動力になっているのです。
宗春は家康がやったことをさらに発展させたといえます。
そんな名古屋の歴史や土地の特徴を表しているのが
旧町名です。
ところが、
昭和49年くらいに新町名に変わってしまいました。
名古屋地区を活性化するためには、旧町名を復活させる。
これが私の理想です。
番号ではだめなのです。
住人が、愛着や親しみを感じるような
ところでないといけない。
私が思うのは、
町内会は、旧町名でやっていただきたい。
そういうことを徐々にやることで、
町に親しみを持ってもらう。
そして、最後には、町名変更をする
というのがひとつの方法ではないかと思っています。

2013年3月例会

3月例会
●テーマ  「介助犬と障がい者の自立
       ~医師の立場から普及をめざして~」
●講 師  日本介助犬協会
     事務局長 高柳 友子氏              
●プロフィール
1966年生まれ 医学博士
横浜市総合リハビリテーションセンター補助犬担当/
リハビリテーション科医師
97年、介助犬の社会における理解と普及を目指した活動と、
介助犬とともに暮らす障害者の社会参加・
社会復帰を推進することを目的に
非営利団体、日本介助犬アカデミーを設立。
2003年、社会福祉法人 全国介助犬協会の理事に就任。
その後、2007年社会福祉法人 日本介助犬協会の
事務局長となる。
医師の立場から介助犬の普及・啓発活動を行っている。
著書には
『介助犬』角川書店出版、
『介助犬を知る』名古屋大学出版会、など多数。
http://ameblo.jp/kirimarukun/entry-10576308823.html
●日時 平成25年3月12日(火)   
    
    18:00 受付
    18:30 講演会
    20:00 懇親会
     ※くれぐれも時間厳守でお願い致します
●会場 料亭 蔦茂 (講演会、親睦会)
    名古屋市中区栄3-9-27 TEL 052-241-3666
    http://www.tsutamo.com/

201301

1月例会 講演レポート 
   テーマ 「久屋公園を一体とした“みんなのテレビ塔”」
   講師 名古屋観光コンベンションビューロー理事長 
       名古屋テレビ塔(株)取締役社長 大澤 和宏氏 
NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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          開催日 平成25年1月18日(金)  
          会場   ローズコートホテル   
平成24年5月22日に
東京スカイツリーが開業しましたが、
その事業スキームは、名古屋発です。
タワー事業は決して、儲かる商売ではありません。
全国の20のタワーで
全日本タワー協議会を結成して諸活動を進めていますが、
タワー単体では赤字が多いのが実態です。
なぜかというと、
どこのタワーも収益スペースがものすごく狭いからです。
観光事業以外の事業を入れ、
かつ足元に人が集まる仕掛けをしないと
タワーの運営維持はできないのです。
名古屋の他の事業はテレビ放送事業ですが、
東京スカイツリーも同じです。
間もなく東京タワーにある地上デジタル放送送信機能は
全社揃って東京スカイツリーに移ります。
東京スカイツリーの建っている街は、
観光事業から遠い存在の街でしたが、
墨田区が中心となって地域開発計画をつくり、
東京ソラマチという新しい街を開発をし、
そこに沢山の人を集め、
そのうちの約10%の人を
タワーに呼び込む仕掛けをしたのです。
これはちょうど
名古屋市の戦災復興の都市計画の中で、
久屋大通という100メートル道路を造り、
そこに多くの人に来ていただいて、
テレビ塔に呼び込んだという仕掛けと同じです。
大阪の通天閣もそうです。
明治時代に世界で有名な建物をモデルとして建て
博覧会を行った街が新世界としとて残りました。
今でも新世界に集まる人達に支えられているのが
通天閣です。
このようにタワーの足元というのは、
タワーにとって命なのです。
名古屋は全国初ということが得意な街です。
例えば、放送でいえば、
ラジオの申請をしたのも名古屋がトップ。
民間放送のJOAR(中部日本放送)、
FM放送のFM愛知も認可はトップです。
名古屋の街づくりでいえば、
名古屋は2年前に開府400年を迎えました。
江戸時代に近代的都市「名古屋」が誕生し
以降、明治、大正、昭和のそれぞれの時代に
都市計画を推進してきました。
太平洋戦争では、
東京に次ぐ爆弾投下量(原子爆弾を除く)でしたが、
実際の死者、負傷者、家屋の損傷は非常に少なかった。
これは戦前に、
都市計画を活かした防空対策をやっていたからです。
戦災復興政策は、
名古屋が全国で最初に立ち上げました。
国の復興政策計画が発表される前に、
名古屋は発表したことは有名な話です。
市内の幹線道路計画が明確に打ち出され、
市内にあった墓地が平和公園に移されたのです。
名古屋の都市計画はいまだに全国から評価が高いです。
その中心が久屋大通と若宮大通。
2本の100メートル道路です。
当時は、こんなに広い道路を造って、
飛行場を造るのかといわれるほど
かなりの批判もありましたが、
これらは防災道路なのです。
久屋大通は、南北に走っていますが、
中区側がビジネス街、東側が住宅地、
その間を防災道路として通したわけです。
そういう意味では
完全な防災意識を持った都市計画だといえます。
その道路上の真ん中に、テレビ塔を建設したのです。
しかも民間施設として。
道路上に民間施設を造ることは、法的にも極めて難しい。
今も変わりませんが。
このため、高度な政治判断も含めて、
名古屋の官・財・市民が一体となって造られたのです。
ですから
テレビ塔の敷地は
名古屋市土地の道路と公園をお借りしていますが、
今でも厳しい借地条件となっています。
これは、
戦災で身も心もボロボロになるほど
名古屋市民の元気がない。
名古屋城天守閣も燃えてしまった。
そういう中で、
なんとか元気を取り戻そうという気概が、
テレビ塔の建設をするエネルギになったのではないか
と思います。
昭和26年、
日本でテレビジョン放送を開始する旨の国会決議がなされ、
それ以降、全国でいろんな動きが始まりました。
昭和28年、
東京ではNHK、日本テレビ、TBSの送信場所が
バラバラにスタート。
名古屋では、
放送局によって送信場所が異なると
受信者の受信アンテナが何本か必要になり、
非常に不合理だということで、
計画段階からタワー一本化を検討し、
誕生したのが名古屋テレビ塔です。
東京は名古屋の動きを見て、
名古屋テレビ塔が開業した4年後に東京タワーが
誕生しました。
名古屋テレビ塔は、
放送事業者(NHK,CBC)と
名古屋テレビ塔株式会社(以下当社という)とが
塔体資産を分割保有しています。
当社は、観光事業を進める会社として、
株主には愛知県・名古屋市、
そして多くの民間企業の皆さんが出資した会社です。
全国に例を見ない、
塔体資産と株主構成の持ち方になっています。
当社の特色としては、名古屋の観光事業の推進。
これが我々の基本的使命です。
放送事業は放送事業者自身が担当し、
施設運営を放送事業者と当社の共同運営となっていました。
ですから当社は、
テレビ放送が終わったら使命が終わるのではなく、
観光事業の推進
あるいは、街の賑わいづくりに貢献して行くことが、
最も重要な役割となっています。
名古屋の都心部にある久屋大通公園は、
都市の様々な機能を考えますと、本当に素晴らしい公園です。
大須から市役所にかけて約2㎞あまり、
名古屋駅に負けないだけのショッピングを
楽しんでいただけるゾーンです。
その間には愛知芸術文化センター、
NHK、東海テレビなど芸術・情報発信拠点があります。
また、国からも認定されている
全国でも珍しい立体公園「オアシス21」とつながり、
交通アクセスも、地下鉄、3本、
名鉄、バスターミナルもある名古屋駅に次ぐ、
交通の要所になっています。
ところが真ん中にバスターミナルがあり、
テレビ塔の北には、駐車場があり、
動線が切れてしまって、非常に使い勝手が悪い。
大通公園という名前も、有名なのは北海道です。
おそらく地元でも久屋大通公園というのは、
名前が通っていない。
かなりのお金をかけていながら、
現在は外から来ていただけない公園。
このあたりを考えなおしていく必要があります。
外から名古屋駅へ来た人にも
「久屋大通公園に寄って行こうよ」と
言ってもらえるようにならなくてはいけない。
「公園の新しい魅力創出」
それが栄地域にとって大きな課題です。
名古屋市内で観光だけを目的にした施設は
テレビ塔しかありません。
是非、テレビ塔の役割を活かして
観光名古屋の起爆剤にしていきたいと考えています。