201306

6月例会 講演レポート 
   テーマ「國酒プロジェクト
       ~東海『4』県とフランスが育てた
        経済政策決定プロセスの新潮流~」
   講師 名古屋大学教授 佐藤 宣之 氏
      前・内閣官房国家戦略室参事官
 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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          開催日 平成25年6月5日(水)   
          会場  札幌かに本家・栄中央店   
■私が名古屋にいる理由
私は「本物」の教授ではありません。
昨年8月、財務省から2年間の任期付きで
名古屋大学に出向することとなりました。
名古屋に住むのは初めて。
あえて名古屋との縁を探すと、
大学同級生には、その後職場の同期にもなった
古川元久代議士(旭丘高校出身)、
また「いつやるか、今でしょ!」でブレーク中の
林修先生(東海高校出身)がいます。
その古川代議士とはその後、
本日のテーマである「國酒プロジェクト」で
共に働くこととなりました。
元々国家公務員になる気が無かった私に
国家公務員試験受験を推奨(というよりは強要)したのも、
旭丘高校出身者でした。
こうやって振り返ると、
名古屋人は私の人生に実は大きな影響を
与えていたことになります。
■財務省というところ
中の人間が言うのも妙ですが、
財務省というとお堅いイメージが強いと思います。
確かに予算、税制等々財布を守るのが主な仕事なので、
仕事が堅いのは間違いありません。
でも職員一人一人には自由がある、
というか自由な発想、思考を常に求められます。
内外の情勢が激しく変化する中で、
先例踏襲の仕事で済むはずもなく、
どのような役職にあっても日々新たな課題を突き付けられ、
解決策を考えることが求められてきました。
大蔵省の人事担当者が内定学生24人を前に、
「大蔵省には多様な人材が求められる、
例えば頭が切れる者もぼんやりしている者も。」と
話していたのが思い出されます
(「ぼんやり・・」の下りの際に私を見ていた
 気がしてなりません)。
■平成の夏目漱石
入省3年目で国内研修、海外研修の
分かれ道に差し掛かりましたが、
幸運にも後者となり、イギリスに2年間留学しました。
実は生まれて初めての海外。
ヒースロー空港が見えた際、
「これが夏目漱石先生も見た光景か。」と
胸がワクワクしました。
授業は高度かつ勿論英語なので大変に辛かったのですが、
夏休み、冬休み、春休みは欧州を大周遊。
特に衝撃だったのは、
ドーバー海峡一つ隔てただけのフランスの
食事の美味しさでした。
ジャガイモにフォークを刺しただけで
「食べなくても美味しさが判る!」あの感動。
パリへの愛が芽生えるきっかけとなりました。
■29歳の税務署長
入省7年目、他の同期と共に全国の税務署長に転出。
私は静岡県の磐田税務署長となりました。
税務署長は様々な会合で
多くの方と会う機会が多いのですが、
私は知らない土地なので誰も知らず、
他方相手は若い税務署長の私のことを知っている
非対称性。
若さゆえの記憶力でカバーしようと思い、
山盛りの名刺を神経衰弱のように並べて
ひたすら頭に叩き込んだところ、
半年弱で署内で管内情勢に一番詳しくなった
ような気がします。
税務署の仕事の一つである酒類行政を通じて、
日本酒の魅力にも初めて触れ、地酒振興にも努力しました。
若い税務署長はその後世間の批判に晒され、
現在は一律の税務署長転出はなくなりましたが、
東京の住宅地育ちの私個人に関する限り、
この経験無くして今の自分もないし、
「國酒プロジェクト」も作り得なかったと確信しています。
■シンガポール
磐田税務署長からそのままシンガポール大使館へ出向。
シンガポールでは官民問わず意思決定が早く、
且つ建前よりも実利志向で、
私のメール即レス体質の礎となりました。
大使館員は公私含め会食の機会が多く、
”Camels can work without drinking three weeks,
while diplomats can drink without working three weeks”
とのジョークも存在するほど。
限られた財布で客人に楽しんでもらおうと
お店の人とやり取りをするうちに、
メニューに出ておらず、でもおいしくて安いものが
多数存在することが判ってきました。
3年間の勤務のうち、最後の1年は
アジア通貨危機と重なり多忙となりましたが、
要人面談に際しては、まず面談自体をセット、
落ち着いたところで夕食のメニュー「作成」に没頭。
「大変な会議の後に美味しい料理が食べられるので
頑張れる。」と政府高官から言われたのは嬉しかったです。
■念願のパリへ
本当にパリに転勤。
フランス料理を堪能するうちに、
単に味自体が優れているだけでなく、
ブランド力が高いことを実感しました。
国内で低迷する日本酒、焼酎にとっても
学ぶべき点が多いのではないか、
日本酒、焼酎を
市場の大きいアメリカや中国に輸出するだけでなく、
パリで日本酒、焼酎にブランド力を付加する努力が
長期的に重要ではないか、等々真剣に思うに至ります。
自分の本業でもないし、
且つ誰にも頼まれていないのに、
気がつけば、洋食器メーカー・ベルナルドの
パリ中心部のショールームで
日本酒、焼酎と洋食器のマリアージュイベントを
プロデュースしていました。
ほぼ同時期、偶然にも私と同じ思想で
パリでの展開に注力されていたのが、
あの獺祭(だっさい)の櫻井博志社長。
でも少なくとも当時、
櫻井社長や私のように考える人は
日本では圧倒的少数派でした・・・・
■國酒プロジェクト
サラリーマンの宿命、楽しかったパリから強制送還。
気がつけば日本酒がライフワークのような感じで、
モナコの王室やインドでの
日本酒プロモーションのお手伝いをしていました。
インドの件は日本で少し報道され、
「これは誰のアイデアか?」と側近にご下問したのが
古川国家戦略担当大臣。
すぐさま古川大臣本人から私宛てに電話があり
「自分は酒は弱いが、実は前から日本酒を以て
海外に売り込む戦略を作りたいと思っていた。
佐藤、頼む。」と。
私からは「焼酎を含めた國酒でやりましょう。」と提言、
かくして「國酒プロジェクト」の幕を切ったのです。
金融庁での仕事はそのままなので、多忙を極めましたが、
仕事はスピードが命、
電話からちょうど一カ月後に
古川大臣から「國酒プロジェクト」立ち上げを公表。
公表文書の中で日本酒、焼酎を
「地域発・日本再生の救世主」、
「21 世紀の異文化との架け橋」
と自信をもって位置付けたのは、
磐田税務署長、シンガポール、パリの経験無くしては
あり得ません。
■名古屋での今後
またまたサラリーマンの宿命で、
「國酒プロジェクト」開始から3カ月半で
名古屋大学に転勤することとなりました。
研究テーマは何でもいいですと言われてビックリ。
取りあえず東海エリアの人も酒も知らないので
時間の許す限りあちこち訪問していたところ、
國酒を切り口に新種の産学官連携モデルを
打ちたててもいいかなと着想。
これが本人の予想を超えて反響があったので、
名城大学等の先生と組んで
「東海4県21世紀國酒研究会」を立ち上げて
しまいました。
早いもので名古屋大学での残りの任期も1年と少し。
今後も発想を限りなく柔軟に行い、
自分らしい活動にまい進したいと思っています。