201203 講演レポート テーマ 「楽しみとしての地獄絵」

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■3月例会 講演レポート
   テーマ 「楽しみとしての地獄絵」
   講師  愛知教育大学 美術教育講座 美術史研究室  
      准教授 鷹巣 純 氏 
   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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         開催日 平成24年3月15日(木)  
   会場  札幌かに本家・栄中央店 料亭 蔦茂 
日本に現存している地獄絵の中で一番古いものは、
東大寺二月堂の本尊舟形光背に描かれているものが
最古のものです。
仏教では「六道輪廻」という考え方があります。
この世に生まれるものは、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人のいずれかである
と考えられていました。
グルグル生まれ変わり、死に変わりして、
抜け出すことができない。
仏教での苦しみというのは、地獄に落ちることではなく、
そうやって安定しないあり方が永遠に続く
ということなのです。
今日のテーマは地獄ですので、
地獄だけ見ていきたいと思います。
人間界から1千由旬(1由旬14.4キロメートル)の地下に
最初の地獄「等活(とうかつ)地獄」 があります。
1つの地獄は、一辺1万由旬。
14万4千キロ、四方の壁に囲まれた監獄です。
さらに1千由旬下ると、「黒縄(こくじょう)地獄」
その下には「衆合(しゅうごう)地獄」
さらに「叫喚(きょうかん)地獄」「大叫喚地獄」
「焦熱(しょうねつ)地獄」「大焦熱地獄」
そして最後に、重い罪を犯した者が落ちる地獄
「阿鼻(あび)地獄」があります
何しろ、この阿鼻地獄は
地下、一番深いところにあるわけですから、
2000年、真っ逆さまに落ち続けるのです。
そうした地獄を描いた絵の中で、
最も有名なものとしては2つあります。
1つは「地獄草紙」という絵巻物。
もうひとつが、
滋賀県の聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)にある
国宝の「六道絵」
全16の掛け軸の中の4つの掛け軸が地獄を描いています。
「六道絵」は、日本の地獄絵の中でも、
例外的に、情け容赦のない描写をしています。
日本の地獄絵の多くは、こんなきつい描写はしません。
なぜなら、
地獄でも期限がある、
やがて終わって次のところに行くところであって
全くの絶望の世界ではない
という考え方だからだと思います。
地獄絵というと、
大変恐いという印象を持っていらっしゃる方が多い
だろうと思います。
ただ、
日本の地獄絵を見ますと、意外と楽しいことが多い。
これから、地獄絵をいろいろ眺めながら、
そこに潜んでいる、さまざまな楽しみというものを
見ていくことにします。
■■地獄絵の想像力と笑い■■
昔から、おじいさん、おばあさんに説教されるときに、
「そんなウソをつくと地獄で閻魔さんに舌を抜かれるぞ」
という話をよく聞いたと思います。
舌を噛んでも痛いわけですから、
舌を抜くことがどれだけ痛いことか想像がつきます。
ただ、抜かれるだけならまだいい。
地獄を想像した仏教徒の想像力はそんなものではありません。
地獄の中の地獄、阿鼻地獄の絵を見ますと、
人の口から、舌が、ずっと、ずっと伸びています。
放っておくと縮んでしまいますので、
杭で留めて広げています。
そしてまるで布団のように広がった舌の上を
虫がついばんでいる。
こういう絵を見ると、ひどいという気もしますが、
意外に仏教の表現というのは、
ユーモラスな側面があるのではないでしょうか。
もっとひどいものになると、
広げた舌の上を耕して畑にしています。
中国の北州の武帝のところに仕えていた
料理担当大臣の物語があります。
料理担当大臣がある日、急に死んでしまいました。
そして、閻魔から派遣された役人が連れていったのです。
実はお前の主人の武帝が亡くなって、裁判をしている
というわけです。
今、問題になっているのは、
武帝が生涯で卵を何個食べたかということが
問題になっている。
そんなこといわれても、
彼も、卵の数を記録しているわけじゃありませんから
「いや、それは、私でもわかりません」
と彼は正直に言った。
ところが、卵の数を計算する方法があったわけです。
武帝が仰向けに石の板の上に置かれて、
その上から、もう一枚、石の板を載せて、
ぐいっと押さえた。
すると脇の下から、
生涯で食べた卵がボロボロとでてくるわけです。
その卵を鬼が1つずつ勘定していくシーンがあるのです。
けったいな想像力といえます。
「浄土双六」というスゴロクがあります。
これは、人として生まれるところから振り出しです。
そこからサイコロを振って、
その目に従っていろんなところをさまようのです。
地獄に落ちたり、さんざんいろんなところを巡って、
成仏したら上がりです。
そういうことを考えると、
人々にとって地獄というのは身近なものだったのかも
しれません。
■■地獄絵の絵解き「熊野比丘尼」■■
人々が地獄に対して、慣れ親しんでいたことを
考えていく上で「絵解き」は避けて通れません。
例えば、
子供のころに紙芝居を観たことがあるかと思います。
ただの絵なのですが、
語りが入るとワクワクしたりします。
絵解きというのは、そういう能力を持っています。
江戸時代に、地獄絵の絵解きで名をなしたのは、
「熊野比丘尼(くまのびくに)」です。
比丘尼とは尼さんのことです。
熊野比丘尼の絵解きは、
江戸時代に大変、流行っていました。
地獄、極楽などを絵に描いて、
女性相手に絵解きをやっていたのです。
おそらくは、お公家さん、大名家の奥方といった女性
ではないかと思います。
あまりにその絵解きがすごいので、
途中で泣き出してしまう人もいたようです。
熊野比丘尼というのは、尼さん姿でしたが、
実は尼さんではありません。
営業上のコスチュームです。
彼女たちは、熊野の神社から、絵と、御札だけ渡されて、
独立採算制で営業を続けていたのです。
しかも熊野の神社には
上納金を収めないといけないルールになっていましたから、
過酷な営業体制の中で頑張っていたといえます。
彼女たちは、熊野牛玉(くまのごおう)という御札を
売っていました。
ただの御札であれば、
一家に1枚あれば済んでしまいますので、
それほど売れません。
でも熊野牛玉は、一家に何枚あっても悪くなかった。
商売をやっている家にとっては、
熊野牛玉は何枚あっても足りないものだったからです。
商売をやる上で、大切なのは契約です。
契約書を取り交わすときに、
その契約書をどうやって保証するか。
熊野牛玉の裏を使って契約書を作るのです。
そうすると、
熊野の神に誓ってこの約束は違えないという誓いになる。
契約証書として必要だったわけです。
熊野比丘尼にとって、頼みの綱の商品だったといえます。
当時、絵解きで使っていた絵は、
今、確認されているだけでも50枚を超えています。
実際に残っていて、発見されているものだけで、
それくらいあるわけですから、
まだ、未発見のものが相当数あると思います。
人生の諸段階を山道に例えて描かれたり、
六道や、悪道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅)などの世界が
描かれている
熊野観心十界図、那智大社の賑わいを描いた
那智参詣曼荼羅などがあります。
ただ、熊野比丘尼の最大のセールスポイントは、
地獄絵の絵解きだったわけですから、
多く使われていた絵は地獄です。
熊野比丘尼は、
何度も、何度もお得意さんのところへ絵解きに回ります。
ですから
絵の決まったところからのスタートではなく、
お得意さんのそのときの状況によって、
絵解きのスタートを変えていきます。
そうやって、熊野比丘尼が
女性たちの心をわしづかみにしていったのです。
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