201202 講演レポート テーマ 「緒方貞子の経営術」

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■2月例会 講演レポート
   テーマ 「緒方貞子の経営術」
   講師  独立行政法人 国際協力機構 中部国際センター 
      小樋山 覚 氏 
   NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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            開催日 平成成24年2月14日(火)  
     会場   料亭 蔦茂 
■■緒方貞子の時代■■
緒方さんはUNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)で
難民などを救う仕事を10年間されていました。
JICA(国際協力機構)にきましたのは2003年。
外務省がJICAのODA(政府途上国援助)を
担当していましたが、
現場感覚がJICAとは異なっていて、
中々、途上国の貧困層に届くようなものになっていない
と我々も感じていました。
そういう状況を何とか変えたいという若者が
緒方さんのところに行って、
「うちに来てください」というようなことを言った
という話も伝わっています。
私自身はこの10年で、
随分変わったところもあると感じています。
緒方さんは、世界一流を目指すということで、
国家元首としか会わないと決めていました。
これは決して、偉そうにしているということではなく、
日本のODAというのは、世界のトップの方と話をして、
国際社会の中で認めてもらいたいという気持ちが強かったのです。
2005年、緒方さんに連れられて
津波の被災地(インドネシアのアチェ)を訪問したときのことです。
あまりの惨状に、緒方さんは1分くらい何も話ができずに、
声もあげることでできずに、ただ首を振るだけでした。
  
私に向かって、
「あなたはこれを見てどう思っているの?」というわけです。
「いや大変です」というと、
「大変じゃないでしょ。6ヶ月もたって、
 全然、復興していないじゃないの。あなたは何をやっていたの?」
といわれました。
JICAの中に、無償で、いろんな建物を造る
というものがあります。
しかし、
仕事としては外務省の仕事で、
私たちはお手伝いをするだけなのです。
「理事長、そうはおっしゃいますが、
 無償というのはJICAの仕事ではなく、外務省の仕事であります」
というと、
「じゃあ、あなたは外務大臣に、何とかしてくれと言ったのですか?」
と返される。
「あなたは要するに、
 自分がやれる範囲のところだけでおさまっていて、
 それを上に上げて、本当に物事を動かそうとしていないでしょ」
と叱責されるわけです。
こんな話を聞いていました。
イラクのクルド難民が発生した時のことです。
それをUNHCRが助けようと彼女が考えたのです。
しかし、UNHCRのルールとしては、
国内での難民というのは、「国内避難民」。
国境を一歩でもでたら難民ですからUMHCRの仕事ですが、
国内であればイラクの問題として、
そこに入ってはいけないという線引きがあるのです。
これも官僚が作った線引きといえます。
そのときに、
「これはやってはいけないことになっています」
と言った部下がいました。
それに対して
「我々のミッションはなんですか?
 困っている人を救うことでしょ?」
「あなた方はルールに縛られている。
 ミッションを実現するために、ルールを変えなさい」
といったのです。
私がアチェで教えられたのも、同じことだと思います。
専門家の中には、
言っていることがよくわからないような、話をする人がいます。
緒方さんは、ODAの世界ではほとんど素人。
JICAの言葉、用語は非常に難しく、
専門家も相手を自分の有利になるように納得させよう
という気持ちがどこかにあるわけですが、
そんなことはできないのです。
「物事の本質はなんですか?」ということを問いかけて、
それに普通の人が解るような説明をしない限りは、
いくら官僚が解ったとかいってもダメなのです。
このようにお話をしていると、
素晴らしいけれど、厳しそうな人だなと感じると思います。
確かに厳しい。
ですが、意外とおちゃめなところもあったりします。
職場では厳しい人として接しているので、
お酒の席でも普段の話でも「素の緒方さん」に
ついつい引き込まれる。
それは術としてやっているのではなく、
内面からでる自然のマネジメント術なのかもしれません。
■■ベトナムという国■■
私が今までに回った国は40カ国くらい。
途上国の中で一番印象に残り、
素晴らしい国だな、人だなと思った国はベトナムです。
ベトナムは日本を好きになっている随一の
東アジアの国ではないかと思います。
今のベトナムは、自転車からバイクになる、
バイクもホンダが買えるようになる。
頑張れば車が買える
というふうな右肩上がりの勢いを感じます。
ファン・ボイ・チャウという革命家がいます。
彼は1905年にベトナムから日本へ密航して
留学運動を始めたのです。
留学といっても見つかれば死罪ですが、
1907年には200人の学生が東京で学んでいました。
この人たちが日本で学んだ日本語をベトナムに持ち帰り、
ベトナム語に訳したのです。
例えば、
日本語の「意見」、
イントネーションは違いますが、「イケン」といいます。
「発表」は「ハッピョウ」といいます。
2文字熟語は、ほとんどが和製漢語です。
日本に行った200名の学生が
ベトナム語を作り変えたといえます。
ベトナム人の日本語の先生ですら、
そういうことを知らないで教えている。
本来はもっともっと
日本とベトナムが仲良くなってもいいのかなと思っています。
私が日本センターの所長だったとき、
日本のビジネスを伝える仕事をやっていました。
すでに社長になっている方たちを
15、16人呼んだわけですが、
右肩上がりの環境で、
何もしなくても伸びていくような会社でした。
ただ、なぜ、そこまで伸びているのか、
社長自身もわからないという人たちばかりでした。
経営ということについては、全くゼロからのスタート
だったわけです。
最初は先生が教えて、生徒はそれをノートに写す。
それをそのままやるということから始め、
少しずつ「自分で考える」ということを教えていきました。
授業を進める上でいろんな苦労はありましたが、
ビジネスプランは自分で作らないといけないな、
作っただけではダメで、
それをどうやって実現するかが重要だな
ということを解ってくれました。
今までは授業の中で、
「あなたの会社は、どうやっているのですか?」と聞いても、
「競争相手の前では、話せない」といっていた人たちが、
ビジネスパートナーとして一緒にやれば、
もっと良くなるのではないか、と考えるようにもなりました。
ベトナムは、1つ言えば1を知る。
それを繰り返していけば10になるという国です。
■■ベトナムの日系企業の成功事例■■
まずはなんといっても「コミュニケーション」
ベトナム最大の2万人のスタッフがいるC社。
当時の社長は、毎朝、スタッフに
一人一人、おはようと声をかけていたのです。
そういうことを続けていると、何が起こったか?
2007年11月1日に大洪水がありました。
スタッフに「早く家に帰れ」と社長が言っても帰らない。
理由を聞くと、
シフト勤務になっている次のスタッフは絶対に出てこられない。
自分たちが帰るとラインが止まってしまう、というわけです。
そんなスタッフに対して、
最後は無理やり帰したというようなことがあります。
その他にはスタッフを信じることで、
日本人が造ったものと、変わらないほどの
高品質な製品をベトナム人が造っている会社、
社長がベトナムへの夢を語ることで
スタッフの士気を高めている会社など
成功している会社がたくさんあります。
日本人の気持ちが
本当に解ってくれるような関係を作ることは、
十分可能だということです。
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