■■信頼のない地方議員■■
もともと議会は古く英国に発祥する。
国王に金と人事を牛耳られた国民は、
国王の意のままに操られる国政に対し、
同じ力を持って国民の意思を反映させる手段として、
議会というものを創ったと言われている。
その議会へは、
国民による選挙で代表者(代議員)を選出するようになった。
故に、代議員は税金を食べて生活をする事が許されている。
従って、議会というものは総じて、
納税者の納める税金の使い道を厳しく正し、
増税を好む役所の吟味役として、大きな役割を担うものである。
時代は戦後60有余年の間に徐々に変化をみせた。
戦前、役人は低給料の時代が続いており、
ちょうど田中角栄総理の頃から変化を見せ始めた。
日本列島改造論にみられる、
大量生産、大量消費により
日本人の生活スタイルはめまぐるしく変化を見せると同時に、
役所に勤める職員にも徐々に波及していった。
今では国家公務員も地方公務員も、
民間所得の平均をはるかに上回る厚遇ぶりは
日本全国で問題視されている。
公務員の所得の厚遇は、
日本では当たり前になっているものの、世界には類をみない。
もともと役所には倒産はなく、
仮に破綻しても次の日に閉鎖されるような事も無い。
前日と同じように窓口を開け、業務をこなしている。
職員も解雇されるような話は聞いたことがない。
この部分が民間とは決定的に違う処遇であり、
従って世界的に見ても、
公務員とは永い期間で安い給料を受け取る給料システムが
世界中の常識である。
しかし日本では安定した公務員の方が給料だけでなく、
年金や福利厚生をとってみても、
民間の大企業を上回る優遇が行き届いており、
オール日本で公務員を目指す就職活動が
それを証明していることで検証できる。
国家公務員の給料は国会で、
地方公務員の給料は地方議会で決められているのだが、
その議会の議員にも、
今や厚遇ぶりはぬぐいきれないものがある。
私は市会議員に支給されているそのひとつ、
『費用弁償』という制度に大変疑問を持った。
■■地方議員との戦い、その意識改革■■
私は2回の落選時代を経て、
2003年平成15年に名古屋市会議員として初当選させて頂いた。
新人議員と言っても
地盤を引き継いだ初顔の議員ばかりで、
私のように現職と代わって当選を果した新人はおらず、
従って後援会から活動指針まで全て前任者の敷いたレールに則って
活動するありさまである。
文字通り改革だの改善だの、
前任者と違う行動を取った瞬間に、
その議員はそれらを敵としてみなす扱いを受けることにつながり、
反逆者扱いを受けることになる訳である。
そんな中で私は当選させていただいてからすぐに、
議員に支払われる日当の受け取りを拒否するアクションを起こした。
それは師事していた河村たかし代議士による
国会議員の委員長手当ての受け取り拒否に影響を受けたからだ。
給料のほかに支払われる市会議員の日当は、
日額10,000円、議員一人当たり年額約80万円。
75人の総額は1期4年間で、
約2億4,000万円にのぼることから、
身近な税金のムダ使いを改めるという私の活動指針に
照らし合わせての行動でもあったが、
現在10人が受け取り拒否しているのみで、
廃止にまでは至っていない。
また当然ながら、
他の議員からの猛反発により、
この行動が原因で私は会派から除名の処分を受けた。
6年間に拒否した総額は450万円を超え、
現在も法務局へ供託という形が続いている。
■■今後の地方議会のあり方、その提案■■
名古屋市会には、
政党に準ずる組織として、会派というものがある。
全国的に問題となっている政務調査費は、
この度平成20年度使用分から
額面が一万円以上のもののみが、
やっと情報公開の対象となった訳だが、
この政務調査費は会派に対して支給されている。
1人当たり月額550,000円、
年間で660万円を人数で剰したものが毎月支給されているのだ。
これらは会派という名の隠れ蓑に阻まれて、
いつ、どこで、何に、どのくらい、誰が、使ったかを
不明確にしてしまっている。
議員たちには、都合のよい話なのだ。
更に議案に対する審議についても、
会派により賛否が拘束される為、
市長を支援する与党会派は、全ての議案に賛成する結果になり、
反対したり、代案を提出するようなことには、ならないのである。
そもそも議案となる原案は、
これまた全ての議案を役所が作成しており、
それが全て賛成多数により可決・成立をみる。
議案を役所が作るという事は、
それ自体が公共事業を示すものであり、
議会で全ての議案が成立するということ自体、
名古屋市会が税金のムダ使いと戦っていると言うには、
ほど遠い存在となっているのである。
もともと会派というものは、
議案に対する賛成と反対により、構成されるべきものであって、
意味をなさないローカルパーティーで集まり組織されるものでは
ないのだ。
賛成派と反対派による徹底的な議論こそ、
市民にとって有意義な役割を果たすものであるのだ。
今のような議員の互助会的な組織では、
白熱する議論が交わされるような議会と呼ぶには
おぞましい状態であると言わざるをえない。
役所は税金を好んで使いたがる組織である。
これらにまともに議論を交わすだけの力が備わっていない以上、
市民に納得のいく議論が不充分なのだ。
一方で、
選挙民も民主主義や議会に対して、
熟しているとは言い難いのも事実であると思う。
それは、
世襲議員が増えていることに一つの回答が現れている。
日本の選挙では、
何をするかが問われるのだが、
欧米諸国では何をしてきたかが争点となる。
日本のように容姿や態度、
また世襲などの要素だけで議員が選出されていることも、
改革を足踏みさせることに繋がっていることを
お見知りおきいただきたいものだ。
■■身近な存在のはずの名古屋市政、これから■■
どんなに時間をかけても、
話し切れないほどの多大な問題を抱えている名古屋市会。
それを限りなく多くのみなさんに身近な存在にしたい。
それを私の夢と位置づけ、
その夢に向かってちからのかぎり活動することを
お約束申し上げ、当選させていただいてから丸6年が経過した。
更に当選期数が若くないと出来ない事柄にも、
およばずながら精一杯取り組んできたつもりである。
今後も目標を的確に持ち、
意識や基本を貫きながら
名古屋市政・名古屋市会に対する挑戦者として、
市民のみなさまにご恩返しの出来る存在であり続けたい。
そんな事を考えながら歩んで参ります。
変わらぬご支援とご指導をお願いし、
お約束とご報告にさせていただきます。