5月例会写真

   

5月例会のお料理と雰囲気です
これが創業105年の蔦もでの最後の例会 7月は新館に移動します
「名古屋自慢」名古屋の可能性を解説していただきました

201411

テーマ  対日戦勝70周年で対日、中韓露包囲網目指す
習近平の狙い
講 師 元毎日新聞社 常務 
    慶應大学マスメディア・コミュニケーション
研究所講師
河内孝氏        
    開催日 平成26年11月7日(金)  
    会場  札幌かに本家 栄中央店
来年の8月15日は第二次世界大戦が終わって70年になります。
今、世界で起きていることは、過去の2つの戦争の結果というものを見ていくと、だいたい説明がつきます。
1914年は、第一次世界大戦が始まった年です。
この戦争では英仏露が連合軍を、一方でドイツはオットマントルコ帝国と組んだのです。
戦争を有利に進めるために英国はアラブ部族とユダヤ人を相手に「三枚舌外交」をやっています。
三枚舌外交とは、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言、フセイン・マクマホン協定のことです。
サイクス・ピコ協定とはオットマントルコ帝国を破った後、その版図をどのように英仏露が切り盛りするかという
密約です。
オットマントルコ帝国は、今でいう、シリアからイラクを含めてペルシャの隣、アラビア半島まで持っていました。
トルコは、現在の小アジアに押し込める。
アラブは、シリア、ヨルダン、イラクという地域に分けて、シリアは仏、ヨルダンとイラクは英国。
ロシアにも黒海出口の領土を分割しました。
戦争をやるためには、ユダヤ人からお金を借りないといけないため、バルフォア宣言の中で、パレスチナについては、
イスラエル国をパレスチナの地に作ることを認めるという密約をユダヤにしてしたのです。
ところが一方で、アラブの部族には、お前たちの国をパレスチナに作ってあげるよと約束した。
つまり同じ場所に、イスラエルとアラブの建国を認めたわけですから、ケンカになるのは当たり前。
これが中東問題の根っこです。
そして今、イスラム国の人は何を言っているかというと、勝手にイギリスとフランスが領土を振り分けた。
その秩序を俺たちはぶっ壊したいんだといっているわけです。
トルコがNATOに入っているにもかかわらず、イスラム国の戦いに参加できない理由もここにあります。
英仏が山分けしたことの矛盾からでた戦争、しかも結果としてトルコと対立してきたクルド人を助けるので、イスラ
ム国をやっつける方に参加したくないのです。
今、中東の国というのは、湾岸から始まって、15くらいの国なのですが、おそらく、このイスラム国みたいな動きが
引き金になって、54くらいの地域グループで、大紛争
が始まるだろうといわれています。
世界の秩序変化は欧州でも始まっています。
ロシアとウクライナとの戦い。
これはどこから始まったかというと、1980年からです。
1980年にソ連が崩壊したとき、当時アメリカはブッシ
ュ政権。
ゴルバチョフ政権とブッシュ政権で6回くらい、非常に
厳しい秘密交渉が行われました。
交渉の中で、ソ連軍は東ドイツから引き上げるよと。
でも引き上げたところには、NATOに入れないでくれと。
そういうゴルバチョフの要請があって、それをアメリカ
は、のんだのです。
ところが、東ドイツにはNATO軍を入れないという約束は
1ヶ月くらいで破っている。
次に、かつてのソ連の衛星国であったチェコ、ポーランド、
ハンガリー。
これは絶対にNATOに入れるなよと、そこにNATO軍を入れ
てソ連と対峙するようなことは避けてくれと。
これもアメリカはわかったと約束しているのです。
英国、フランス、ドイツなどの首脳も約束しました。
ところが、3カ国どころか、バルト三国も含めて、皆、
NATOに入ってしまった。
2度までも約束違反があったわけです。
ウクライナは、かつてのソ連の重要な一部の国であって、核兵器もおいてある。
そんなところがNATOに行ってしまうというのは、ロシアにとっては大問題。
そういう背景があって、先日、プーチンがああいう行動をとったわけです。
ロシアから見れば、西側の一方的な秩序の破壊ということなのです。
1945年からの第2次世界大戦終結70周年にはどういう意味があるのか?
1937年に盧溝橋事件が北京で起きました。
北京郊外の盧溝橋で日本軍が夜間演習をしたら、中華民国軍から銃撃にあったのです。
これが太平洋線につながる日中戦争の始まりです。
その記念的な場所である盧溝橋で来年、70周年の大祝賀会を習近平さんの主催でやることになっています。
ちょっと知っている人にとってはヘンな話なのです。
何故なら盧溝橋事件で戦ったのは蒋介石の中華民国政府軍です。
また終戦の1945年8月15日ということでいえば、まだ蒋介石は中国大陸を支配していたわけですから、勝った権利
者というのは台湾政府のはずなのです。
そこで、習近平さんが今年、8月15日に、盧溝橋へ行った理由がわかります。
「我々、中華民族が野蛮な日本軍国主義を打ち破る歴史的な事件だった。忘れてはいけない」といって、盧溝橋事件
で戦った台湾にいる中華民国軍のOBを呼んできたのです。
我々は台湾も中国も一緒なんだということで、来年70周年をやる正当性を得ようとしたわけです。
来年の8月15日、盧溝橋で、プーチンと朴槿恵と習近平が会って、厳しい抗日戦争を共に戦った同士として高らかに
勝利を宣言するわけです。
実は、習近平は、もう少し深い手を打っていたのですが、それは、さすがに朴槿恵は乗りませんでした。
消息筋に聞いた話によると、「北朝鮮なんて誰がみたってあと5年6年も持つわけじゃないじゃない。そうすれば朝鮮
半島は韓国政府が統一することになるだろう。しかも核までも手に入れることができる。そうなれば日本なんて、
目じゃないだろう」と、朝鮮民族にとっては非常に魅力的な提案をしたようです。
それはさすがに、アメリカに情報が流れて、何を言っているんだということになった。
今でも在韓国連軍の指揮権はアメリカの司令官が持っています。
戦時は、アメリカの司令官が韓国軍を自由に使って戦いをすることになっている。
以前は平時も持っていたのですが、さすがにそれは、ということで5年前に平時の指揮権を韓国に返しました。
ただ、韓国としては、独立国として、戦時指揮権を韓国の司令官に返してもらいたい。
そんな話をアメリカにしていて、来年、戦時指揮権も返すことになっていたのですが、棚上げになったのです。
中国の手先になって、ロシアと三国同盟なんてやるんだったら、何かあっても、アメリカは守らないぞと。
アメリカからすれば、北と合併して、その核兵器を持って、核保有国になるなんてとんでもない、ふざけるなといっ
たところです。
習近平とオバマですごいせめぎあいをしているということだけは、日本人は知っておいた方がいいです。
今、世界で起きている混乱は、100年前の世界秩序、70年前に日本が負けた時に彼らが作った世界秩序、冷戦後の
世界秩序が崩れかけている。このことが、ほとんどの理由といえます。

201410

テーマ  外国人が見た日本の可能性
講 師 クリス・グレン氏        
    開催日 平成26年10月7日(火)  
    会場  SYONシオン隠れ家風ダイニングバー
僕は1985年、交換留学生として日本にきました。
ほとんどの学生が東海地方だったのですが、僕は札幌。
東海地方に行きたいと思っていた僕としては、かなりショックでした。
ホームステイ先のお父さんの友だちの中に名古屋出身の方がいらっしゃいまして、その方が英傑行列で30回目の家康
を演じたのです。
そんな話を聞くたびに、名古屋への興味がますます大きくなっていったのです。
1年間の札幌の生活を終え、オーストラリアに戻り、放送専門学校に入り、夢であったDJとしてデビューするこ
とができました。
そんな僕の心の中に芽生えた新しい夢は「日本に戻りたい」ということだったのです。
7年間、オーストラリアのテレビ、ラジオ業界で頑張っていましたが、日本に帰ろうと決めたのが1992年7月。
知り合いも、仕事も、何もありませんでしたが、僕には夢だけがありました。
最初は東京でラジオDJとコピーライターとしての仕事をやっていました。
あるとき、あるラジオDJから名古屋で新しいラジオ局がスタートするということを聞いたのです。
僕はすぐに応募しました。
そして、名古屋に移ったのが93年です。
日本の文化や歴史を守るために、2006年からイベントを企画しています。
最初は日本甲冑武具研究保存会のメンバーの人たちと一緒にオーストラリアに行きました。
日豪交流のために、いくつかの小学校を訪問して、書道や折り紙、剣術、火縄銃のデモンストレーションをしたのです。
いろんな国に剣術の文化がありますが、その文化の中でも、剣術が一番すばらしいのは日本だと思います。
これは誇りを持っていいと思います。
いろんな会社がコストダウンのために海外生産しています。
今では中国やベトナム、韓国の方がモノは安く作れます。でも、日本のモノづくりは世界で有名ですし、日本の技術
のクオリティは高いと世界中が思っているのです。
コストも大事ですが、日本の技術のクオリティの高さを武器にした方がいいと思います。
人口を考えると、日本のマーケットよりも、圧倒的に世界のマーケットの方が広いわけです。それが日本にとっての
チャンスです。
大企業だけでなく、中小企業もチャンスがあると思います。
僕がやっているプロジェクトの一つは、日本の魅力を世界に発信するWEBマガジン「Japan World」です。
日本の歴史、文化、伝統的なこと、職人さんのインタビューなどを日本語と英語でアップしています。
外国人に日本の素晴らしい世界を知って欲しい。
同時に、日本人が自分の国の歴史、文化の魅力を再発見できるようにしたいと思っています。
カナダの高校では、このWEBマガジンをテキストとして使っているところもあります。
「Japan World」 http://japanworld.info/
日本の政府は、たくさんの外国人に観光として日本に来て欲しいと頑張っています。
そのために、どうやって日本が世界にアピールするか、ということを考えなければなりません。
僕は、そのPRポイントは、やっぱり、この国の「歴史」だと思っています。
名古屋のインバウンドということを考えた場合の問題はネームバリューがないということが、一つといえます。
世界の人は、東京、大阪は知っている。京都は有名。
もちろん、広島、長崎は知っている。
札幌は2月に雪まつりがあるので、世界のニュースでも取り上げられるため有名です。
ものすごい雪像を世界のテレビや雑誌は、映像や写真をアップするわけです。
でも、名古屋は、そういうことが何もない。
日本とビジネスをしたいと思ったら、外国の人は、東京、大阪と思っている。
でも、経済的に一番強いところは名古屋なのです。
それを世界の人たちは知りません。トヨタは東京の会社だと思っている。
名古屋のことを誰も知らないから、観光をはじめ、新たなビジネスチャンスが生まれる機会が少ないのです。
それは、とてももったいないです。
それでは、名古屋を世界にアピールするにはどうしたらいいか?
僕の提言は、世界へ向けて「SAMURAI CITY NAGOYA」とPRすること。
「SAMURAI CITY NAGOYA」と言ったら、皆「オー」というと思います。
なぜなら、「侍」は、日本独特の文化であり、世界の皆が興味あることだからです。
豊臣秀吉は名古屋に生まれ、大阪にお城を造り、大阪の街をつくりました。
織田信長も名古屋生まれです。
徳川家康は岡崎で生まれましたが、子供の頃は名古屋に住んでいました。
そして家康は、愛知の人、物、文化などを江戸に持っていき、江戸の街をつくりました。
加藤清正は名古屋出身です。
彼は熊本に行き、お城を造り、熊本市ができました。
前田利家は金沢、福島正則は広島を作りました。
徳川宗春、池田輝政・・・
日本の名武将は、ここ名古屋から誕生したのです。
だから、名古屋は「SAMURAI CITY」なのです。
これが私たちのアピールポイントの一つだと思います。
名古屋を世界にアピールするには、もっと名古屋城の魅力をアップしないとダメです。
名古屋城は、400年前からの建築図面が今も残っています。
それに加えて、最後の殿様が、絵カメラが大好きでしたので、ものすごくたくさんの写真を撮っているのです。
天守閣の中だけでも100枚以上残っています。
これだけの資料が残っていれば、ちゃんと復元できます。
木造復元といっても、木が足りないと言われていますが、そんなことはありません。
日本には、愛知県の面積、3倍以上の木があるのです。それを使って、復元をする。
CO2の吸収が少ない大きな木を伐採し、吸収の多い小さな木を新たに植えることで、環境としても良いことです。
名古屋城のコンクリートや鉄筋部分が老化しています。
これからたくさんの修理が必要になってきます。
一部を修理しても、またすぐにどこかが悪くなって修理をしないといけない。
修理の費用もかかる。
そういうことを考えると、木で造り直した方がいい。
ただ、2020年オリンピックのために、天守閣を全て壊して、造り直すのは現実的ではないかもしれません。
天守閣を壊してしまうと、復元途中の本丸御殿しか見るものがなくなってしまい、名古屋城に人が来なくなってしま
うからです。
僕のプランは天守閣復元の前に、城門、焼失した隅櫓や多聞櫓を復元し、名古屋城全体を以前のような状態に復元す
ること。
一部の城門や櫓であれば、2020年までに可能性があると思います。
そのプロジェクトがスタートすれば、世界的にアピールできるのです。
2021年、オリンピックが終わって、観光としては、少し日本が静かになったところで、天守閣を木で復元する。
2027年のリニアモーターカーにあわせて、天守閣が完成すると、海外から多くの人が名古屋に来る理由ができます。
名古屋が元気になると日本が元気になります。
今、毎月、いろんな先生を呼んで、名古屋の歴史や文化、名古屋城のことについて話をしてもらっています。
皆さんには、少しずつ勉強することで誇りを持ち、名古屋の魅力をわかってもらいたいと思っています。
そして、僕たちは、「民間大使」として世界に名古屋の魅力を伝えていくことが大切です。

201409

テーマ  究極のレストランガイド
講 師 ランディ『覆面グルメ調査員」
         
    開催日 平成26年9月4日(木)  
    会場  料亭 蔦茂
■覆面グルメ調査員ランディの誕生秘話
僕は、大学を卒業後、25歳のとき、料理がやりたいと思い、調理師学校に行き、30歳で自分のお店を出しました。
7年くらいやり、人気もでてきたわけですが、元来、一匹狼的なところがある僕としては飲食店という箱を抱え、従
業員を抱えることに負担を感じるようになったのです。
その後、カメラマンをやっていました。ちょうどその頃、ブログを始めたのです。
ブログを始めてこの7月で丸8年になります。
9年前、10年前は、飲食店に行きたいなと思っても、ネットの情報は、ほとんどない時代。
情報雑誌やテレビの情報番組を頼るしかありませんでした。
そう情報を読んだり、聞いたりしてお店に行ってもハズレが多い。
自分の嗜好とは異なるな、というお店ばっかりだったのです。
よくよく考えてみると、雑誌やテレビの情報は「おいしいという情報を発信する」ということは全てシナリオとして
決まっていますので、お店の宣伝でしかない。
だから、行ってみてガッカリというようなことになってしまうわけです。
そういう思いがあって、本音の情報発信しようとブログを始めたのです。
最初は全くの趣味でした。
ブログというのは、文章だけでは伝わりません。重要な要素としては写真。
ブログへの掲載写真が観やすくて、きれいだったというのが、人気の1つでした。カメラマンの経験が活きました。
文章については、専門用語はできるだけ使わずに、わかりやすく、簡潔に情報を発信することを心がけました。
1分くらいで読めるくらいのボリュームにしておかないと、読んでくれません。
お客さまは、点数で判断して、高い点だと、ちょっと中身を見るという感じです。
そういう工夫が人気の理由となって、あっという間にアクセス数が増えました。
1日1000アクセスだったのが、3ヶ月ぐらいで1日5000になり、現在は3万くらいです。
人気が出たもうひとつの要因としては、「点数をつけてわかりやすくした」ことです。
ただこれは、私の好みに過ぎないので、絶対評価ではありません。
あくまで参考の1つとして欲しいのですが、点数をつけることや、感じたままのことをはっきり言ってきましたので、
最初は、お店にしてみると、おもしろくなかったようです。風当たりは強かった。
お客さんというのは、おいしいときは、おいしいというけれど、おいしくないと感じる人は、何も言わずに、もう来
ないだけ。
面と向かって言われたことがないため、批判されることに慣れていないわけですね。
僕はいろんな意見があることが、一番健全だと思うのです。
お店にいって、そのお店を見るときのポイントは「お店の姿勢」。
今は、味がマズイというようなお店は減ってきています。味はこれから変わったりします。
変わらないのは「姿勢」です。
「何を一番、このご主人はやりたいのか、目指しているのか」というところです。
儲け主義ではなく、本当に料理が好きで、お客さんに喜んでもらいたいという姿勢が表れているかどうかをいつも観
ています
そういうお店は、誰が行っても、印象が良い。
僕の評価にハズレがないとか、信頼できると言っていただけることがあります。
それは、姿勢を評価の対象にしているからではないかと思います。
僕はご夫婦だけでやられているような、小さい店が好きです。
シェフがお客さんの顔を観て、イメージしながら1つずつ作る。
バイキングとは全く逆で、シェフの顔が観えるような料理が食べたい。
ただ、そういうお店というのは、姿勢がすごく良いのですが、宣伝がヘタなのです。潰れてしまうお店が多い。
僕が、ブログをやりはじめて、そういうお店の点数を高くつけて、そこに皆が行ってくれるようになって、潰れなく
なっています。
もちろん、僕だけの力ではないと思いますが、そういうところはネットの威力といえます。
■食生活の大切さ
毎日、外食ばかりしているので、太っている人かなと思われていますが、実際に会った人からは、「痩せているんで
すね」とよく言われます。
なぜ、太らないかというと、僕は本能のおもむくままに食べているからだと思います。
お腹が減っていないときは、食べません。
評価をしないといけないので、一番おいしい状態で食べられるように体調をもっていきます。
そのために、一番はお腹を減らすことなのです。
お腹が減っているときで、体調がいいときが、一番おいしく感じます。
そうすると、僕の場合は、自然に一日一食くらいになります。
逆にお腹が減った時は、時間帯関係なく、食べます。
その方がストレスにならないので良いのです。
そういう食生活が太らないコツなのかなと思います。
僕は食べることが好きなのですが、一番好きなのは「おふくろの料理」です。
家で食べるご飯が一番、好きです。
実は、昔、外食は嫌いでした。
だから逆に、本当においしいものでないと食べたくないので、厳しいことを言っているのです。
外食が嫌いな人が褒めるから、本当においしいわけです。
食べ物は本当に大事だと思います。
一食、一食、口に入れたものが、そのまま体になる。
へんなものを摂っていると、仕事をしていても効率が悪くなる。病気にもなりやすい。
僕は5年前にソムリエの資格を取るために専門学校に通いました。
生徒は、さぞ食にこだわっているんだろうなと、最初、僕は思っていたのです。
ところがお昼になると、皆、コンビニに行くわけです。
僕だけが自分で弁当を持って行っていました。
そういう人たちでも、食に対する意識が低いのです。
よく、「家でも料理を作りますか?」といわれますが、僕は作りません。
ご飯は炊きますが、卵かけご飯とか、納豆ご飯とか、豆腐とか、刺し身とか、手を加えないものを好んで食べています。
それが一番おいしいのですが、それではおいしくないと感じる人もいらっしゃるようです。
もちろん、ハンバーグとか、シチューとか、餃子とか、そういうものを自分で作るならい
いのですが、自分で作る時間がないといって、冷凍ものを買ってくるわけです。
お金と手間をかけなくても、健康が維持できて、おいしいものはいくらでもあります。
世界の中でも日本人は添加物の食べ過ぎです。年間で一人4キロも食べている。
添加物をたくさん含んだ加工食品よりも、自然食の方が、がんにもなりにくい。野生の動物は、がんにはなりません。
加工食品というのは、本能を狂わせてしまいます。
だからアレルギーになったり、病気にかかったりする。
自然のものを食べていれば、そうそう病気にはならないし、太らないし、味覚もおかしくならないのです。
生活習慣病というのは、薬は一時的なもので、やはり食生活を改めないと治りません。
そういうことを考えると、経営者にとって、社員の食育は大事なことだと思います。

201407

テーマ  映画上映会「名古屋城下町物語」 
     ~尾張名古屋の軌跡~
講 師 名古屋活動写真 森零 監督         
    開催日 平成26年7月15日(火)  
    会場  料亭 蔦茂
■6本の映画に込められた想いと、制作のきっかけ
2010年に開府400年祭をきっかけに名古屋歴史文化の映画を作っておこうということになりまして、4年間で6本の
作品を作りました。
その集大成的な映画が「堀川物語」と「名古屋城下町物語」という映画です。
実は、私は最初から6本の映画を作ることになるとは想像をしておりませんでした。
若い方は、大須は知っている、覚王山も知っている。
だけど、2007年、2008年の頃には「円頓寺ってどこですか?」という状態だったわけです。
そこで、ちょっと皆さんに知ってもらおうということで、四間道、名古屋城、名古屋駅、円頓寺商店街というところ
を舞台にしたドラマを作りました。
それをきっかけに、「森さん、こういう映画を作るんだね」という話から、開府400年にうちの筒井町の山車の映画を
作ってくれという依頼を受けることになったわけです。
ところが、開府400年祭で東照宮祭復活を目指し、100年ぶりに大規模な山車祭りをやるということを耳にはさんだ
のです。
そこで、その筒井町の人に、私は開府400年祭の山車祭り全体をやりますということで、1年間に100台のカメラを
投じ、100時間の映像から、切り出して70分間のドキュメンタリー映像に編集しました。
それが「開府400年名古屋の山車祭り」という映画です。
名古屋には、名古屋城や江戸時代の山車を含めてすごくたくさんの宝がありました。
そのほとんどが第二次世界大戦で燃えてしまった。
その部分を伝えたいと思ってあくる年に作ったのが「名古屋空襲を語る」という映画です。
山車祭りの映画を作るときは、この映画を作ることを予想していませんでした。
ところが、この映画の中で、「名古屋城が燃えたことが悲しい」という人が、たくさんいらっしゃった。
自分の家が燃えたことよりも悲しいという人もいた。
それで改めて、名古屋城へ行ってみました。
「ああ、こんなことがあったんだ」ということが、だんだん見えてきまして、城郭のことから、築上の歴史という
ものを若い人たちに知ってもらいたいと思い「名古屋城物語」を作ったのです。
この映画でも城下町について少し触れているのですが、
あまりにも情報がたくさんありますので、翌年に取材
して作ったのが、「堀川物語」と「名古屋城下町物語」
です。
そういう形で、映画を一本ずつ作っていったわけです。
その取材の中で、次のテーマが見つかっていった。
それが6本の映画になったのです。
今までは名古屋市からいただく50万、100万の補助
金と、あとは出演していただいた方にも協賛金をお願い
したりして作ってきました。
そういうこともあり、これで集大成ということで、
6本で終わりにしようと思っていました。
ところが、そんな矢先に、今年、教育委員会の文化財保護室の方から東照宮祭復活という
プロジェクトの第一弾として、ドキュメンタリー映画を作るという委託を受けることができたのです。
東照宮祭というのは本当に素晴らしいお祭りだと思います。
例えば、「名古屋城を木造で建てましょう」ということに対して、今、市民は、「それいらないよ」とか、「やったほう
がいいよ」というような答えを出せると思うのです。
でも、「東照宮祭を復活しよう!」といったとしても、「東照宮祭とは何なのか?」ということが、山車をやっている
人たちでも知らないことが、まだまだあります。
だから、本当に誇りに思える東照宮祭というものを復活していくには、すごくたくさんの準備がいると思います。
そこで、「住民は少ないけれど、山車を1輌でも復元しようじゃないか」ということの理解を市民から得ようという
ことで、ゆっくりしたペースではありますが、東照宮祭復活に向けてプロジェクトが始まりました。
私たちが暮らす現代の名古屋には、素晴らしい歴史や文化の軌跡が太平洋戦争以降見えにくくなってはいますがたく
さん残されています。
日本の歴史に多大な影響を及ぼした織田信長。
その父、信秀(尾張の虎)の42年の人生こそが歴史を大きく動かしていた事や名古屋城初代当主・徳川義直の時代、
平和な時代の到来とともに、儒教を中心とした政策によって武士と町衆がものづくりや芸事をたしなみ、技術の向上
や知識を深め、この地域が魅力ある都市として栄えていた時代があった事は、教科書でも触れられていません。
今日、観ていただく「名古屋城下町物語」は、尾張氏に始まり、戦国時代、江戸時代を経て現代までの2000年の間
に魅力にあふれた人物を多く生み出し、時代を先駆ける様々な文化を発信しつづけてきた尾張名古屋の歩みと人びと
の営みを研究者達の語りと資料を中心に描きます。
この映画を観れば、街の魅力を再認識するきっかけを手にし、今後の日本、そして世界に誇れるまちづくり、人づく
りに活かされると確信しています。
”今”を未来から借りている私たちは次の世代に何を伝え遺すのか。
私たちは、尾張名古屋の遺産に感謝し学べる映画を目指しました。
先日、熱田区役所の方で上演会をしました。
そのとき「こういう取り組みは本当に大事だと思うから、いずれ熱田を中心にした映像を作ってくれないか」という
ことを言われました。
これから準備をしていきたいなと思っています。
■「本当に名古屋はスゴイ」これを広めることの誇り
今までインドやアメリカやタイなど、そういうところを転々としていまして、若い間に楽しむという時間を与えて
くれた町がたくさんありました。
ただ、名古屋というところは、本当にスゴイ、世界中のお手本になるような町じゃないかということを実感しています。
日本全体を動かすような人間が生まれたり、日本経済が大変なときにトヨタを支えたようなすごい重要な役割を東海
エリアがしてきたのではないかなという実感。
また、日本というところは、地球の中で一番人口が密集している北半球の帯の中にある。
そこにいて、これだけ小さな国に、これだけの人間がいるから、統治もしやすいわけです。
その真ん中にある名古屋というのが、時代に左右されず、いつもおだやかな時間が流れているということを感じるの
です。
本当に物質的にも気候的にも恵まれている。
そういうところからも「名古屋っていいよね」と思えるような場所だと思うのです。
ところが、今、学生たちを見ていると、全くそういうことを意識していません。
私たちのときも小学校の時に、社会の時間に少しだけ習ったくらいのものです。
だから「ここが本当にスゴイな」ということを皆に知ってもらう活動をすることに誇りを持っています。
一人一人が、この場所に住んでいることに誇りを持てば、それに恥じないことをしていこうというのが人間だと思い
ます。
そこを広めたい。
それが活動の原動力になっているかなと思います。

201406

テーマ  健康を保つ~運動器の痛みに隠された秘密 
講 師 愛知医科大学 学際的痛みセンター
     センター長(教授)牛田享宏 氏    
    開催日 平成26年6月13日(金)  
    会場  SYONシオン 隠れ家風ダイニングバー
皆さんの中で痛みを経験したことのない方はいないと思います。
ただ、「痛み」という定義については、皆さん知りません。
痛みとは「組織の実質的あるいは潜在的な障害に結びつくか、このような障害をあらわす言葉をつかって述べられる
不快な感覚・情動体験」というのが定義です。
右手をつねられた場合、痛みのシグナルは右手から、右の首のところへ神経を通って入っていきます。
右の首のところに入っていくと、右の脊髄に入り、左の脊髄を伝わって、視床に入ります。
そこから、体性感覚野というところに伝わります。
そこで手が痛いとか、つねられているとか、そういうことを経験するのです。
もうひとつ、内側の脊髄を上がっていく道があります。
そうすると大脳辺縁系というところに伝わり、辛いとか、苦しいということを経験します。
この両方あるのが痛みです。
痛みというと、年配の方が多いという印象だったのですが、実はそんなことはありません。
30代、40代、50代の方が多い。
慢性痛とも関係する介護を受けないのは何歳までかという健康寿命といわれているものがあります。
男性が70歳、女性が73歳。
10年くらいは介護を受けながら生きていくことになりますがその大きな原因が慢性痛ということは大切な部分です。
腰椎の障害の場合、腰が痛いというよりも脚が動かないのが最も深刻な病態といえます。
なぜなら、頭からの指令は、全部、腰を抜けて、足に伝わるため腰が本格的に悪いと、脚が動かなくなるのです。
神経が圧迫され、脚が麻痺すると手術になりますので、そういうことを見極めるためには、神経を診察する必要があり
ます。
しばしば行われるレントゲンなどの画像検査は写真であって、痛みや神経の病態を直接反映しているわけではないと
いうことを知っておいて欲しいと思います。
繰り返しになりますが、腰や頸の痛みだけでいきなり手術をすることはありません。
腰椎はどんなときに手術をするかというと、腰椎で神経が圧迫されて麻痺した際に手術を考えるのが原則です。
すなわち脚が動かくなってきたから手術をする。
金属を入れたりするのは、どこかがグラグラして、神経が刺激されないように固定するのです。
手術結果としては、腰の手術によって、痛みがなくなったという人は25%。
しびれもそうですが、しびれが残ってしまう人は70%
くらいいます。
手術をしたからといって、痛みやしびれがなくなる
というわけではないということも重要です。
安静にしている方が痛くないというデータがあります。
ところが調べていくと、運動習慣がある人と、ない人
とを比べると、習慣がない人の方が、慢性痛になる人が
多いのです。
痛いからといって動かさないと、筋力が低下してきます。
健常者を90日間、寝かしておくとどうなるかという実験
をすると、太腿の筋肉が17%落ちるという結果が出てい
ます。
痛いと安静にしようとしますが、安静にすると、まず軟骨が圧迫しますし、関節滑膜が癒着したりします。
また筋肉が痩せてきます。
特に、タイプ1線維と呼ばれる筋肉が痩せます。この筋肉が痩せると、持久力がなくなる。
この傾向が引き起こされるのは早く、動かないと10日間くらいで、そういうことが起こってきます。
ぎっくり腰になったからといって、長期間、動かさずいると、40歳くらいの人でも前傾姿勢ができなくなってしまう
のです。
腰痛に戻ってみると、腰痛で原因がはっきりするのは15%です。
そういうものに対して、一番効く、運動療法としては、腰に限った運動をするのではなく、様々な身体活動をすること
が、痛みの軽減につながる、精神的健康も回復する、ということが、わかってきました。
なぜかというと、腰の下には、脚や、膝があるわけです。
腰の上には、背中がある、首がある、全てつながって動いているので、全体が良くならないと、腰が良くなるわけは
ないのです。
患者さんが我々のところへ来るのは、痛みをとって欲しいからです。
ただ、痛みが完全にとれる確証はありません。
なぜかというと、痛みが続く病態の中には筋肉の問題、関節の問題、記憶の問題などがあるからです。
はっきりしている部分は痛いからと言ってじっとしていると、動けなくなる。
また、痛みを薬で完全にコントロールできるという誤った考え方をもった人がいますが、とてもまずい考え方です。
薬には副作用があります。痛みがあっても、しっかり考えられなかったりふらついたりすると困ることになります。
ある程度、痛みがあっても、動けるということをゴールにしないといけません。
そのためには、まずは体つくりということになりますが、だいたい65歳未満の男性で一日9千歩、女性で8千歩。
66歳以上は、男性7千歩、女性6千歩、歩くのが目標とされています。
私たちの体は動くことで機能を維持しているのです。
心理的な問題は痛みの慢性化や維持に大きく関与しています。
例えば、むち打ち。
むち打ちの概念がない国、ギリシャでは交通事故にあっても、すぐに治ります。ところが日本は治らない。
カナダでは、むち打ちに対して、保険がおりなくなったら、すぐに治る。
何かに夢中になっているときは、痛みを忘れています。夜になって痛み出す。
これらは心理的なものなのです。
こういう実験があります。
MRIの中に入って、滅茶苦茶、手が痛いという人に、手を触られるビデオを見せるのです。
本人には、知らされていませんが、実際は、その人の手に触れるのではなく、別の人の手に触れます。
健常者は、脳の後ろの方だけしか、活動しないのですが、手が痛いと言っている人は、頭の前の方が活動します。
脳の前の方は、前頭葉といって、記憶に関係しているところです。
こういう人たちは、ビデオを見ただけでも、2日くらい仕事も何もできないくらいに苦しむのです。
ビデオで見るということと、実際、痛みを経験することというのは、脳の中では、ほとんど同じ経験をしてしまうと
いうことです。
半年ほど前に、左足をねじってから、風が吹いても痛みを感じるほどになった10代の女の子がいました。
彼女は、足が腫れ、足の骨が痩せ、とてもじゃないけど、足が伸ばせない。
地に足を着けることもできず車椅子で来られていました。
カウンセリングをする中で、わかったことがありました。
その子の家には、義理のお兄ちゃんが住んでいたのです。
お父さんは、義理の兄をすごくかわいがっていました。
あるとき、お兄さんが県外に就職したのです。
それからは、お父さんは、女の子のリハビリに参加するようになった。
彼女も、すごく喜んでリハビリをやるようになった。
そうしたら、足をつけてちゃんと歩けるようになったのです。
お兄さんが県外に就職したことが良かった。こういうことがあるのです。
心の問題というのは、体に影響してきます。
心と体は、切り離しているようで、切り離すことができない、ということを知っておいていただけたらと思います。

201403

テーマ  名古屋都市論 江戸から現代まで
     -大正・昭和のまちづくり史を中心に- 
講 師 名古屋学院大学 経済学部 教授
     都市研究所スペーシア 顧問 井澤 知旦 氏      
    開催日 平成26年3月11日(火)  
    会場  料亭 蔦茂

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201402

テーマ  中小企業のための「いむらきよし流」個性心理学  
     投資せずに売上アップしたい! 
     今居る人材で会社を変えたい!  
講 師 「人生キャラ」ナビゲーター いむらきよし氏      
    開催日 平成26年2月13日(木)  
    会場  札幌かに本家・栄中央店
キャラクターに潜んでいる成功の法則
今日、お話することは、4000年くらいのデータと、私がいろんな方のことを調べたデータをもとにした話です。
本来、自分の中に持っているものを、もっともっと引き出す。そんな話をしたいと思います。
皆さんには分身のキャラクターを持っています。
キャラクターを調べるには、自分の年月日を使います。
キャラクターは60に分類されていますが、不思議と、そのキャラクターが持つイメージに似てくるのです。
キャラクターにあった行動をすると運気が上がります。
資料を見ていただくと、キャラクターの番号のところに、天体のマークがあります。
「ムーン」と「アース」と「サン」この3つです。
皆さんのキャラクターがひらがなで表示されている場合は、「ムーン」のチームに入ります。
「たぬき」「こじか」「黒ひょう」「ひつじ」です。
「アース」は、キャラクターが、漢字になっています。「子守熊(コアラ)」「狼」「猿」「虎」、この4つです。
「サン」は、カタカナ。「ペガサス」「チータ」「ライオン」「ゾウ」があります。
それぞれ意味があります。
私は、名刺などで、名前の表示にひらがなを使っています。私自身がムーンだからです。
ムーンの人は、手を上げるのが(控えめ)の人が多いです。周りを見ながら手を挙げる。
もし、皆さんの会社の社員の方でムーンの人がいたら、あまり、「売上を上げなさい」とか「なにやってんだ!」とい
うようなことをいうと、ムーンの良さが死んでしまいます。
ムーンというのは、キラキラ光るのではなく、ほわーっと光る感じです。
そのイメージがムーンの人の性格でもあるのです。
私は、ムーンを「良い人チーム」と呼んでいます
「アース」は、肝が座っている人が多いです。
部下が失敗しても、自分がかぶったりする人が多い。
目標を立てて、コツコツとやっていきたいタイプ。だから、飛んだ発想は、あまりしません。
アースは、数字とか、結果、お金しか信用しません。
会議などで、「何だこの数字は!」というような追及
をするのはアースです。
一方、ムーンは、形のないものに惹かれます。
友情、愛情、使命感・・・
アースは、これが達成できたら、ボーナスを上げる
というのが、効果的な動機付けですが、ムーンは、
「君しかいないんだ」というような使命感に訴える
と頑張ります。
アースは、数字と結果とお金しか興味がないので、
「しっかり者」のチームと言ってます。
「サン」は太陽ですから、赤とかピンク、オレンジが
勝負カラーです。
似合う色を身につけるというのは、相手を自分のペースに引き込めます。
サンは、世界人口の25%くらいしかいないといわれるくらい少ないグループ。「天才チーム」と言っています。
学校教育の枠には、はいりません。気分の起伏が激しい人が多いです。
また、直感と、感性が鋭いから、ピタッと予想が当たります。
そういうことは学校では教えることができません。
■「じゃんけんの法則」~ムーン・アース・サンの力関係
ムーン、アース、サンには、力関係というものがあります。
「じゃんけんの法則」と言っていますが、サンは「パー」です。
サンの人は、売上規模を大きくしようとか、他の企業を買収しようとか、海外に支店を作ろうとか、世界戦略、拡大
展開の思考です。
経営者としては、楽天の三木谷さん、日産のカルロス・ゴーンさん、ソフトバンクの孫さん、スポーツ選手では、
イチロー選手、松井秀喜選手がいます。
「チョキ」がアース。アースの人は、コツコツとやっていきたいから、無駄が嫌いです。
道を聞いても、アースの人は、最短ルートを教えてくれます。
ムーンは「グー」、とても頑固です。
人間とか、友情とか、愛情など、形のないものを大切にします。
あなたは大切な常連さんなんだよ、という対応をして欲しいのがムーン。
実際に、サン、アース、ムーンのタイプの違いを勉強し、商売に活かしているお店があります。
誰もが知っている有名なエステのお店では、アルバイトの学生でも、お客さまのタイプがひと目でわかるように、タ
イプによってフェイスタオルの色を変えています。
それによって、お客さまにあった対応ができるようになるわけです。
クレーム対応でも、お客さまのタイプにあった対応をするべきです。
お客さまによっては、部長が謝ってはいけない場合もあります。
お客さまのところへ、部下に同行することはいいのですが、ミスをした本人に誠心誠意、謝って欲しい、と考えるの
がムーンです。
それを、謝罪は、そこそこにして、商品券とか、割引券などでごまかすからいけない。
一方で、アースの場合、もちろん、謝ることは、当然ですが、今日のお代は結構ですとか、商品券とか、そういう
話が有効なタイプです。
サンの場合は、スーパースターが多いですから、クレーム対応も、店長とか支配人とか、ステイタスの高い人が対応
する方が、上手くいきます。「責任者、出てこい!」というのは、サンです。
アース(チョキ)の人から、サン(パー)の人へ、モノゴトを話した方が上手くいきます。
逆に、サンからアースは、とてもストレスを感じてしまう。
アース(チョキ)に対しては、ムーン(グー)がいい。
「じゃんけんの法則」、ぜひ、会社の中でも、家庭でも、使ってみてください。
今日の資料の中にキャラクター換算表があります。
60分類のどこの列に入るかによって、今まで話したことが、私には当てはまらないという人がいるはずです。
例えば、同じチータでも、最初に生年月日で出した番号1番の人は、チータの血が薄いのです。
7番のチータは、真っ赤なチータです。
同じサン、アース、ムーンでも、どこの列にいるかによって表れる性格は、運気はガラッと変わるわけです。
自分のキャラクターとか、ムーン、アース、サンとか、どこの列にいるかとか、それが持つ性格に近づいた方法で、
仕事やプライベートを過ごした方が、神さまが、手を貸してくれ、運気が上がります。
もうダメだという状況になっても、偶然、思いがけない応援者が現れて、困難を乗り越えたというような体験を持っ
ている人がいます。
そういう人は、キャラクターが持つ性格と自分の生き方とがあっていたりするのです。
自分の際立った個性の通りにやっていくと、社長としても、営業マンとしても、夫婦関係も、社員との関係も上手く
いきます。大いに活用してみていただきたいと思います。

201401

1月例会 講演レポート 
  テーマ  アクアイグニスという成功物語
  講 師  株式会社アクアイグニス 代表取締役
       株式会社KODO CC Group代表取締役 立花 哲也 氏   
 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
          開催日 26年1月15日(水)    
          会場  ローズコートホテル   
■癒しと食の総合リゾート地、アクアイグニス誕生
アクアイグニスは、
三重県菰野町にある温泉リゾート施設です。
ここの温泉は、
もともと片岡さんという方がやられていまして、
私共が10年前に譲り受けました。
当時はボイラー施設がなく、
お湯がなくなったら、全てがなくなる
といったところだったのですが、
温泉業者の掘削業者に聞くと、
私が生きている間は枯れないくらいの湯脈がある
ということで、安心して買ったわけです。
当時の古い施設でも
年間に、24万人もお客さまに来ていただいていました。
このことも今回、オープンを踏み切った理由です。
加水・加温・循環・添加物一切なしの
『源泉100%かけ流し』で
1分間に600リットル、43度で湧いていています。
そもそも、なぜ私が、
こんな施設をオープンできたのか。
高速道路に古い片岡温泉があたりまして、
それで、道路公団から移転費用をいただいたからです。
そこで考えたのは、
せっかく移転するなら、どこにでもないもの
ということで、今回の計画をしたのです。
ネーミングは、
最初、温泉ファームとか、
湯の山ファームランドとか、いろいろ考えていました。
最終的には今までにないオシャレなものにしたいな
ということで、アクアイグニスとしたのです。
アクアイグニスの料理人のひとり、辻口パティシエ。
「料理の鉄人」ではパティシエとして初の優勝。
5度の世界 大会に日本代表として出場し、
数々の優勝経験を持つ日本を代表するパティシエです。
最初は、世界一のパティシエに
お願いすることまでは考えていませんでした。
地元や周辺の有名店からと思っていたのです。
ところが、
「なぜ、そんな湯の山に・・・」と、
誰も相手にしてくれなかったのです。
辻口パティシエは、知人の知人でした。
今回のプロジェクトについて、何かできないでしょうかと
辻口パティシエにお願いをしたところ、
想いが重なるところがあって、
思いがけなく、話が進んだのです。
施設内には、
スイーツのコンフィチュール アッシュ、
パン屋さんのマリアージュドゥファリーヌなどの
人気店があります。
マリアージュドゥファリーヌは、1ヶ月遅れて
オープンしました。
ガスの窯にしようか電気にしようかと迷いましたが、
やっぱり薪だろうということになって
スペイン製の石窯や薪を使ってパンを焼いています。
もうひとりの奥田シェフ。
山形県鶴岡、銀座、
東京スカイツリーレストラン棟にイタリア料理店をもつ、
地産地消を実践するシェフです。
独創性に富んだ料理は、
世界の料理人1000人にも選ばれるなど、
海外でも高い評価をうけています。
経緯として、辻口パティシエとの話の中で、
一緒にやるなら奥田シェフだということになりました。
そこで、
なんとかアクアイグニス出店のお願いしよう
ということになったわけです。
奥田シェフがやっているレストランとしては、
シェフ自身の名をつけた奥田食堂、
カンティーナ・ジェノバ、
サーラ ビアンキ アル・ケッチァーノなどがあります。
温泉施設の中では、
辻口シェフがやっているラスクやお茶なども
販売しています。
今回の計画の中で、
ちょっとおもしろい取り組みをしました。
私共のグループに、「建サク」という
システムを運営している会社があります。
建サクというのは
建設工事を受発注する「建設マッチングサイト」です。
今回はすべてこのシステムを使って、発注をしたのです。
まず、大阪のゼネコンさんに
経費として10%をお支払いすることにして、
受け手になっていただきました。
その上で、このオークションを使って
全てすべての下請け工事を出して下さいという
依頼をしたわけです。
これによって当初15億くらいの工事金額が、
13億5千万くらいにコストダウンしました。
また、建サクというサイトだけでなく、
「設ケイ」というサイトも作っています。
これは設計のコンペをするサイトです。
今回は、シェフたちがプロデュースした温泉リゾートを、
いついつまでに、設計(案)を出してしてください、
賞金は100万円だします
ということで募集をかけたのです。
すると70くらいの設計事務所から
いろんなデザインをいただくことができました。
このサイトを使うと、
例えば、自宅などでも、賞金20万とか30万くらいだせば
デザインが集まります。
何もないところに、
新たに施設を造るというのは大変ですが、
そもそも、人が来ているところに造った。
成功要因としては、
これが大きかったのではないかと思います。
オープンにあたり、参考にしたのは、
滋賀県近江八幡で「たねや」さんがやっている
「クラブハリエー」というケーキ屋さんです。  
ここは平日でも行列ができるほどの人気店です。
辻口パティシエは、石川県能登の出身で、
アクアイグニスをオープンする何年か前から、
ケーキ屋さんをやっていました。
そこでも旅行者が、意外にスイーツを買っていく
というのを知っていたのです。
そういう話を聞くと、
お菓子、ケーキというのは、集客ができるんだな
と思います。
当初、目指していたのは70万人だったのですが、
昨年一年で97万人の人たちが来てくださいました。
アクアイグニスがオープンして、
まだまだ成功物語といえるほどではありませんが、
日々努力をしているところです。

201311

11月例会 講演レポート 
   テーマ イスラエル、遠くて遠い国を遠くて近い国に
   講師  株式会社サガミチェーン 
       代表取締役 鎌田 敏行 氏  
 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
          開催日 平成25年11月7日(木)    
          会場  札幌かに本家・栄中央店   
今日は日本にとって縁遠いイスラエルという国を、
少しでも身近に感じていただければと思い
お話をさせていただきたいと思います。
学生時代、私は、
第二次世界大戦が終わってから、
世界で戦争をしているのはベトナムだけだと
思っていたのですが、
インターンシップでドイツ滞在中に、
中東でも戦争があり、
新聞記事でも現地紙と日本のそれとは取り上げ方が
全く違うことを知りました。
そこで休学を2年から3年に延ばし、
タダで農業実習ができるイスラエルの集団農場、
キブツに1年行く事としました。
1972年ですから、第4次中東戦争の前年です。
街中でも戦闘があったりする怖い国だと思っていましたが、
行ってみると、「聞くと見るとは大違い」という言葉は
この国のためにあるのではないか
と思う程平和で、農場内は牧歌的ですらありました。
自然でも面白い所で、
イスラエルは3大陸の接点に位置していますから、
動植物の種類も多く、
緑豊かなアイルランドなどと比べても多いと言われています。
シクラメンやチューリップの原種もありますし、
ハチドリやヒョウも生息しています。
イスラエルの自然で一番有名なのは死海でしょうか。
ヨルダンとイスラエルの間にある塩湖で、
流れ込むのはヨルダン川だけで出口はありません。
淡水のヨルダン川からの取水が多いので湖面は
年々低くなっています。
ここではカナヅチの私も安心して浮遊体験ができます。
この一帯は海抜マイナス400m以上ありますので、
海抜下を飛行機で飛ぶこともできる類稀な地域です。
イスラエルは歴史が古いですから、
ギリシャ神話にも登場する場所があります。
テルアビブの直ぐ南にジャッファという町があります。
テルアビブは100年、
ジャッファは4000年の歴史がありますが、
今は合併してテルアビブ・ジャッファと言います。
このジャッファの港に「アンドロメダの岩」があります。
エチオピア王ケーペウスとカシオペアが結婚して
生まれたのがアンドロメダです。
絶世の美女だったようですが、
カシオペアが、海神ネーレウスの美人で知られる
50人の娘を合わせたよりも綺麗だと言った為に海神が怒り、
エチオピアを大波が荒廃させた為、
泣く泣く人身御供に出さねばならなくなってしまいます。
ジャッファの岩にアンドロメダを縛り付けたのですが、
顔を見たら石になるメドゥーサの首を取った帰路に
通りかかったペルセウスが怪物を退治して
アンドロメダと結婚したとされています。
イスラエルというと砂漠をイメージしますが、
北部には穀倉地帯もありますし、
今やイスラエル全土がワインの産地となっています。
ワインの原産地にはギリシャなど諸説があるようですが、
ワインの語源を辿ると、
古典三語の中で最も新しいラテン語でvinum、
次のギリシャ語でoinos、
最も古いヘブライ語でyayinで、
他の二言語はヘブライ語の影響を受けていることが判ります。
現在は、
原産地はカスピ海の南から
東地中海に掛けての広い地域とするのが有力なようです。
ロスチャイルドのフランス家が
イスラエル建国前のパレスチナにワイナリーを作って120年。
小規模で高品質なワインを作るブティックワイナリーが花盛りで、
私は毎年イスラエルに行っていますが、
新しいワインとの出会いが楽しみの一つです。
イスラエルは聖地でもあります。
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地で、
大元はユダヤ教の聖書である「旧約聖書」です。
アダムから数えて10代目がノアで、
ノアにはセム、ハム、ヤペテという息子がいました。
このセムの子孫がユダヤ人であり、アラブ人とされています。
ノアから数えて10代目が
アブラハム(アラビア語ではイブラヒム)で、
彼が両民族の源です。
アブラハムが
カルデア(現イラク)のウルを出発したのが約4000年前。
因みにチグリスとユーフラテスの合流点に
クルナという町があり、そこに「アダムの木」があります。
そこがアダムとイブが暮らしていた
エデンの園とされています。
「旧約聖書」に依れば、神様がアブラハムに、
アブラハムの子孫を大いなる民とする約束をし、
彼はカナン(現在のイスラエル・パレスチナ)に
住むこととなりました。
パレスチナにはイエスの生まれたベツレヘムがあり、
イスラエルにはイエスの育ったナザレ、
磔となったエルサレムがあります。
ローマ帝国でキリスト教を初めて公認した
コンスタンティヌス帝の母后、聖ヘレナが
紀元325年にベツレヘムで生誕地を、
エルサレムで磔刑の地を特定したとされ、
そこに教会が建っています。
エルサレムの聖墳墓教会には、複数の宗派が共存しており、
争いの種となるのを避ける為、
あらゆることをstatus quo
つまりは現状維持とすることと決められています。
ベツレヘムとナザレには
キリスト教徒のアラブ人が多く住んでいます。
我々はどうもアラブ人=イスラム教徒と考えがちですが、
ユダヤ教ができたのが約3000年前、
キリスト教が約2000
年前、イスラム教は約1400年前ですから、
例えば1500年前のアラブ人は
イスラム教以外の宗教を選ばざるを得なかったので、
それが脈々と受け継がれている訳です。
ユダヤ教は日本人にとって縁遠い存在ですが、
論理には興味を惹かれます。
週に一日安息日があって、
これは神様が天地創造の後、
人間を作って7日目に休息されたからですが、
これをユダヤ人は厳格に守ります。
運動や仕事をしてはいけないので、
この日に公共交通機関は動きませんし、
高層ビルには一つだけ各階止まりのエレベーターが
指定されます。
降りる階を推すと電気が点いて仕事をしたと見做される為、
勝手にドアが開いたので自分は歩いて行っただけだ
という論理です。
冷蔵庫を開けると電気が点くので、
これは前日にテープを貼って開けても点かないように
しておきます。
この安息日で年に1度だけ、
特別に厳格に守る日があります。
ヨムキプール、或いは贖罪の日と呼んで、
この日は空港も閉鎖されます。
この日にエジプトとシリアが
イスラエルに攻め込んだのが1973年10月で、
この第四次中東戦争はヨムキプール戦争とも
呼ばれています。
語源も興味深い分野です。
ヨルダンは建国当初はトランスヨルダンと言っていました。
ヨルダン川の向こう側の国という意味です。
第一次中東戦争、イスラエル側からみると
独立戦争の際にヨルダン川西岸の一部を
トランスヨルダンが占領し、
その後併合したので、
最早川向うの国ではなくなったので
トランスを取ってヨルダンとなったものです。
その後1967年の第三次中東戦争で
イスラエルが西岸を占領したので
再び「トランス」ヨルダンとなったのですが、
国名はそのままとなっています。
産業はどうなのでしょうか。
ユダヤ人は発想が豊かで、
日本人が1を聞いたら10を知るのが得意とすると、
ユダヤ人は0から1を作るのが得意と言えます。
ノーベル賞の約2割は、
世界人口比で0.2%のユダヤ人が受賞しています。
我々の発想では1+1を2とか3とかにしようと考える訳ですが、
これを11にしようと考えるようなイメージです。
イスラエルの比較競争優位性はハイテク、人脈、FTA
つまり自由貿易協定で、この3つとも人工資源です。
イスラエルには
どうしても危険というイメージが付き纏いますが、
私は危険な目には一度も会っていませんし、
多くの日本企業が進出しています。
自然、文化、産業、そして米国への影響力など、
色々と勉強になる面白い国だと思います。