201302

2月例会 講演レポート 
   テーマ 「名古屋伝統芸能の歴史と旧町名を語る」
   講師 南山大学 人文学部 
      教授 安田 文吉氏 
 NAGOYA KEIEI KENKYUKAI  BUSINESS & CULTURE    
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          開催日 平成25年2月21日(木)  
          会場  札幌かに本家・栄中央店   
■家康の政策、政経分離 ~経済活動の拠点、名古屋
森零さん監督の名古屋城物語という映画があります。
その中で、なぜ徳川家康が名古屋市を作ったか
という話を私がしています。
家康は政経分離を考えたからです。
室町幕府の失敗は
都の中に、もう一つ政治政府を作ったことにあります。
二重支配になってしまう。
家康は、政治経済を分離し、
政治は江戸、経済は名古屋とした。
名古屋は日本の真ん中にある。
そうすると
経済活動をするには、もってこいだったわけです。
経済活動の拠点として、
三男の徳川秀忠は、二代将軍で江戸へ。
四男の松平忠吉を初代の尾張藩主にします。
その後、忠吉が亡くなると、
九男の徳川義直が継いだわけです。
名古屋が経済活動の拠点であるということを、
知らしめるためには、何かシンボルがいる。
そのシンボルが金の鯱です。
徳川幕府は、こんなに経済力があるぞ
ということを見せようとしたわけです。
徳川家康は戦う前から、
戦いの後のことを考えて、町づくりも考えました。
私が代表を務めている
「NPO法人 清須越400年事業ネットワーク」が作った
名古屋の地図があります。
これは、
名古屋城ができる前の名古屋を推定して作ったものです。
清洲越し、直前、慶長12年頃の町の地図、
清洲城下の推定図などを見てもらうと、
開けている名古屋の様子がわかります。
地図を見ると、
熱田から金山のあたりまで海だったことがわかります。
熱田台地、あるいは名古屋台地といわれる場所がありますが、
その一番高いところに名古屋城があります。
その後ろ側は湿地帯。
清須の向こうは海だったわけです。
近くには新川があって、非常に水没しやすいところ
だったのです。
人が住むとなると、石垣を組んで、地面を高くして
住まないといけない。
そういうこともあって家康は清洲越しをしたわけです。
経済活動に、どういう町がいいかと考えると、
江戸は江戸城を中心に、同心円状の町が発展しています。
名古屋は碁盤割。
碁盤割の町に商人とか職人を住まわせました。
その南側と東側に下級武士が住む。
何かあったときは、
碁盤割の町を、まずは下級武士で守ろう
ということだったわけです。
その外側にはお寺を造りました。
なぜ寺を造ったのか?
お寺には霊がいるから、人は、たたりを恐れる。
信仰心も強い。
だから、
家康はお寺を碁盤割の外側に造って敵の侵入を防ごう
と考えたわけです。
■家康の政策を受け継いだ尾張藩第7代藩主 徳川宗春
家康は慶長5年2月、
「貞観政要(じょうがんせいよう)」を印刷し、配り、
こうやって政治をやるんだということを考えていました。
家康の考えを一番きちんと受け継いでやったのが
尾張藩第7代藩主 徳川宗春です。
宗春は、自分の政策を
「温知政要(おんちせいよう)」という本にしました。
経済政策に関し、
享保の改革を行った徳川吉宗の質素倹約策に対して、
宗春は反対の政策。
皆が元気になることが大事だということで、
名古屋での芝居を認めました。
歌舞伎というのは江戸時代では一番人気の高い娯楽でした。
年間で130以上の公演という記録が残っています。
遊郭は富士見原、西小路、葛町に3つ作りました。
芝居小屋や遊郭を造るには、腕の良い職人がいる。
そこで、いろんなモノ作りの人が集まってきました。
商人や職人の懐具合がとても良くなってきた
ということがいえます。
ただ、農民は懐具合が豊かになっていない。
そこで宗春は、
地場産業の保護育成と、販路の拡大をしたわけです。
それによって農民も豊かになりました。
しかも、税金を増やさなかった。
皆が豊かになると、良いものを買うようになる。
そうすると職人が腕を磨いて良いものを作るようになる。
これが名古屋のモノ作りの原動力になっているのです。
宗春は家康がやったことをさらに発展させたといえます。
そんな名古屋の歴史や土地の特徴を表しているのが
旧町名です。
ところが、
昭和49年くらいに新町名に変わってしまいました。
名古屋地区を活性化するためには、旧町名を復活させる。
これが私の理想です。
番号ではだめなのです。
住人が、愛着や親しみを感じるような
ところでないといけない。
私が思うのは、
町内会は、旧町名でやっていただきたい。
そういうことを徐々にやることで、
町に親しみを持ってもらう。
そして、最後には、町名変更をする
というのがひとつの方法ではないかと思っています。

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