2010年1月例会 名古屋城本丸御殿

■■本丸御殿本音トーク 復元賛成発言者5人からのメッセージ■■
河村新市長の発案で、
4大事業のうち名古屋城本丸御殿復元は市民討論をしたうえで、
継続するかどうかを決めることになり、
市民討論会で賛成発言した5人が再度集まり、
市長に提案書を提出することにしました。
私たちが、市長に申し上げたのは8つあります。
●名古屋城は、名古屋のものだけではなく、
 世界に誇る日本近世武家文化の殿堂です
近世初頭の国家的城郭には、
大阪城、京都二条城、名古屋城、江戸城があります。
大阪城は実測図のような資料が無く、
二条城は宮様の住宅が本丸に移築され、
江戸城は皇居のため手がつけられません。
日本の400年前のナショナルプロジェクトのうち、
城郭全体の復元が、今、可能なのは名古屋城だけなのです。
世界的遺産である理由はここにあります。
●天守を含む、名古屋城全体を復元し、
 日本近世武家文化のテーマパークにしましょう
名古屋城には、天守と御殿の本丸、二の丸御殿と庭園、
壮大な下深井御庭がありました。
近世城郭全体復元は日本初、
日本近世武家文化のテーマパークになること間違いなしです。
●100年かけて名古屋城を復元し、
 将来の国宝、世界遺産登録をめざしましょう
新築のバルセロナ聖家族教会は、100年かけてもまだ完成途中です。
それを公開しているから、世界中から人が集まるのです。
そういうことを名古屋でやろうじゃないですか。
●御殿復元を継続し、
 その間、名古屋城全体復元の調査・研究・計画をすすめましょう
本丸御殿は建物の実測と研究、障壁画の模写研究があって
実現しました。
全体の復元には未解明なことが多々あります、
御殿復元過程で解明されることを活かしてこそ、
全体の復元が可能です。
その結果、
名古屋城は日本初の近世武家文化研究拠点にもなるのです。
●名古屋城復元は、
 世界中から建築・工芸を学びたい人が集まる伝統継承の学校です
約1000坪もの伝統建築の復元=新築機会は、
日本では本丸御殿以外にはありません。
本丸御殿の復元は、
世界で唯一の日本伝統技術継承の大きな機会=学校になります。
●資金は、市民と世界からの浄財、関連商品販売、
 国・県・市の公民連携で進めましょう
世界的な意義や、市民の歴史教育の場、名古屋の経済振興など
公的意義を持つ名古屋城の復元は、
世界の市民の浄財、企業との連携だけでなく、
公の果たす役割が大きいのです。
●名古屋城復元公開で、国内外の観光客を誘致し、
 名古屋に経済波及効果をもたらします
名古屋城復元公開には、世界中から名古屋に観光客が集まります。
そのことによって、
飲食店、名産販売、交通機関、宿泊業、観光業など
新しいサービス産業が振興し、
それらの従業員の雇用増にもつながり、
市民生活が潤うようになります。
●名古屋城復元を軸に、
 名古屋のまちづくりを総合的に進めましょう
縦割り行政と言われ、横のつながりが弱かったまちづくりを、
名古屋城復元を契機に、
観光・産業、芸能・文化、学術・研究など文脈を持って
総合的に進める絶好の機会です。
以上8つです。
一方で反対意見もありましたので、
それについて私たちの解説を述べます。
●「本丸御殿の復元は財政が厳しい今ではなく、
  少し先に延ばすべき」に対して
 
寄付、市費、国・県の補助など、
着手初年度で御殿復元財源は、ほぼめどが立っています。
できるだけ早く公開し、
経済波及効果を得るべきであるというのが私たちの意見です。
●「寄付が集まっていると言うが個人の寄付が少なく、
  意味がない」に対して
名古屋市に聞いたところ
1万2000人の方が寄付をしているそうです。
それを少ないというのは誤解です。
御殿のラベル付き商品を買った人も、御殿復元の協力者なのです。
●「城内にはお城以前の遺跡がある、その調査をしてから
  復元を実施すべき」に対して
重要な意見です。
但し、下の歴史を調べるには、上の歴史を破壊する矛盾があるのです。
本丸御殿の下ではなく、広い名古屋城の別の場所で
古代の歴史究明をすれば良いでしょう。
●「復元は単なるコピーで意味がない」に対して
芸術家やデザイナーにも共通しますが、創造は模倣が原点です。
復元は創造的な行為なのです。
調べながら工夫して復元する技術の伝承は、
創造的な意味を持つのです。
●「復元しても単なる観光にしかならない」に対して
名古屋城再生観光は、
市民の歴史・文化体験機会、子供達の学習と余暇機会、
国内外からの来訪者の名古屋文化との交流機会となります。
また、観光消費は市民所得となり、
経済を支える一大産業振興となります。
観光の語源にはそういう政策的意味があるのです。
以上のようなことを河村市長さんに提案したところ、
名古屋城復元が継続されることになりました。
河村市長さんには、とても感謝しています。
■■木造天守閣と本丸御殿■■
○武の象徴である木造天守閣と文の象徴である本丸御殿、
 これはどちらが重要かではなく、
 両方あって本丸の格をなすのです。
 天守閣は50年前に市民の浄財と市費で再建されました。
 本丸御殿復元には、
 それ以来の市民の夢と四半世紀に渡る市民運動があるのです。
 その市民運動の成果の1つとして、
 銘酒本丸御殿、10年間続けている金虎酒蔵コンサートなどがあります。
 名古屋城全ての再生エピローグは、
 天守閣の木造竣工にしたいと思います。
■■名古屋城のおもしろさ■■
現存すれば、名古屋が世界に示す日本オリジナルの
近世武家文化テーマパークです。
その様子をかいつまんでご説明します。
目を閉じて創造してください。
○天守と御殿のある本丸は、
 多聞櫓と言われる黒塀で石垣の上を囲まれていました。
 天守閣は面積では日本一です。
 その姿があまりに優美だったため江戸時代から天下の名城と
 言い伝えられています。
 度々の金鯱盗難事件が話題になるほどの城でした。
○本丸御殿は、
  桂離宮古書院と同年の創建になる正統的な武家書院建築です。
  部屋毎にその目的を表す絵が施された美術・工芸と建築が
  一体のいわば日本のバロック建築です。
  二の丸御殿築造後、
  藩政の政庁と将軍上洛の際、お泊まりになる迎賓館に
  なっていました。
○二の丸御殿は、
 藩主の居館で、本丸を凌駕する規模を持ち、
 能舞台を持つ尾張徳川の真髄となる御殿です。
 御殿に面した二の丸庭園は、
 徳川の儒教思想を表した中国風庭園で、
 お茶処・名古屋の庶民の庭に伝わる茶庭の源流ともなったのです。
○下深井御庭は、
 街道と町並みを再現する尾張藩独特の庭園です。
 早稲田大学や戸山公園一帯は、
 下深井御庭とそっくりに造園された尾張江戸下屋敷の庭の跡です。
○西之丸は、
 名古屋城の玄関で、
 その奥の深井丸とともに米蔵や武具庫などもあって、
 この辺で甲斐甲斐しく侍が働いていた場所だと思われます。
■■名古屋城再生のおもしろさ■■
○エンドレスの世界的な地域文化再生の夢プロジェクト。
○市民や子供達が体験する名古屋の歴史文化学習機会。
○世界から人が集まる日本近世武家文化の伝承機会と観光拠点。
○再生の研究で、日本近世武家文化の実証的研究拠点。
○再生用に上流の木曽の樹を育てることで
 環伊勢湾環境文化圏を再構築。
○名古屋城再生の完成は名古屋開府500年の目玉。
ということがあげられます。(編集の都合で要点のみ列記)
名古屋市民や名古屋市だけでなく
“世界の人が参加し、手を携えて、
旧国宝・名古屋城全体を再生すること”により、
『尾張2000年の歴史再興に向けた序章としましょう』という発想が、
新しい時代の歴史的都市創造につながっていくのではないか
と思います。
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